1970代と言えば、イギリスのレッド・ツェベリンや、ディープ・パープル、アメリカのエアロスミス、キッスなどが一世風靡しましたが、”シンガーソングライター”もブレイクしました。
元ビートルズの面々、エリック・クラプトン、バン・モリソンなどがいますが、牽引した1人に、ジョン・デンバーがいます。
彼は、1960年代中盤にチャド・ミッチェル・トリオを結成します。
当時は、普通のフォークソングを歌っていました。
そんな彼に転機が訪れます。
同じくアメリカの、人気フォークトリオ、ピーター・ポール&マーリーの曲として、『悲しみのジェットプレイン』が全米1位を獲得し一躍、ソングライターとして人気に火がつきます。
ソロシンガーとしてのデビューは、1969年のアルバム『Rhymes & Reasons』です。
ここで、彼は『悲しみのジェット・プレイン』をセルフカバーし、ヒットさせています。
1971年、『故郷へ帰りたい(Take Me Home County Roads)』が全米2位の大ヒットを記録。
一躍、シンガーソングライターの一角として頭角を表します。
その後も、『ロッキー・マウンテン・ハイ』(全米8位)、『太陽を背にうけて』(全米1位)、『緑の風のアニー』(全米1位)、『すばらしきカントリーボーイ』(全米1位)とヒットを連発。
しかしながら、この人気も1975年中期になると衰え始めます。
KC&サンシャイン・バンドやオハイオ・プレイヤーズ、ビー・ジーズのファンク/ソウル、ディスコグループがブレイクしたことで、時代遅れ感が出でしまい、人気は急落してしまいます。
しかしながら、音楽互いでも彼の活躍は続きます。
1977年、世界の飢餓に対する組織である『ハンガリー・プロジェクト』を設立。亡くなる間際まで携わります。
1980年代に、あのUSA for Africaのメンバーに名乗りをあげますが却下されています。
飛行にも興味があり、NASAを支援し、チャレンジャー号爆発の追悼なども行っていました。
彼は、複数の飛行機(主に、セスナ機)を多数所有。
1997年、趣味の飛行機を楽しんでいる途中、事故に遭い、呆気なくこの世を去ります。53歳の若さでした。
葬儀は、故郷へコロラド州で執り行われ、”アメリカの心”とまで称されます。
『故郷へ帰りたい』は、オリビア・ニュートン・ジョンにカバーされたり、日本でも宮崎駿作品『耳をすませば』エンディング曲として、声優・本名陽子のカバーで大ヒットして、知名度が高まりました。
今でも、彼の心は沢山のアーティストに引き継がれています。

PPMの「悲しみのジェット・プレイン」は聴いたことあります。
ジョン・デンバー作だったんですね。
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そうなんです。最初期の代表作ですね^_^
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