197(年代後半から、アメリカを中心にブレイクした『ディスコ』。KC&サンシャイン・バンド、オハイオ・プレイヤーズ、アース、ウィンド&ファイア、スライ&ザ・ファミリー・ストーンと市場は黒人バンドが占めていました。そんな中、白人グループが、現れます。それこそが、『ビージーズ』です。
ギフ兄弟(ハリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)はオートバイレースで著名な英国王室族属領マン島に生まれました。1950年に父親の故郷、イングランド・マンチェスターに映ります。
1955年、ギブ兄弟は教会の合唱に所属しキャリアをスタートさせます。自宅の近所には後に『ハーマーンズ・ハミッツ』のリードボーカルとしてアメリカ、イギリスで人気を博すピーター・ヌーン一家が居り、ギブ一家とは家族間での付き合いがありました。1958年、父親の仕事の都合で家族7人はオーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンに移住します。1番下の音音アンディはマンチェスターで生まれたばかりでした。ここで兄弟は、小遣い稼ぎのために歌うようになります。最初のグループ名は、『ラトルスネークス』、後に『ウィー・ジョニー・ヘインズ&ザ・ブルーキャッツ』となります。
そして 3人はラジオDJであるビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者とは別人)に紹介されます。紹介者は、レーサーのビル・クード。ゲイツは、自分とグードのイニシャル(BG)から彼らの名前を『ビージーズ』と名付けます。1960年代になると、テレビやラジオのレギュラー番組を持つようになります。1963年にファスティバル・レコードから「The Battle of The Blue and The Gray』でデビューする運びとなり、以来国民的な人気を博すことになります。当時アメリカ、イギリスの多くは黒人音楽に影響を受けていましたが、ビージーズはエヴァリー・ブラザーズの影響を受けました。
彼らは、1966年にはオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれ、67年、シングル「スピックス&スペックス」が全豪1位になった頃、オーストラリアの人気に目をつけた、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインは、自ら経営する『NEMSエンタープライズ』入社していた新人ロバート・スタッグウッドをオーストラリアに赴かせ,ギブ兄弟にワールド・デビューの契約を持ちかけます。
イギリスに帰国したギブ兄弟は、オーストラリアクイーンズランド州生まれでロンドン育ちの、ドラムス、コリン・ヒーターセン、そしてオーストラリア時代からの彼らのレコーディングにたびたび参加していたシドニー出身のヴィンス・メロニーをリード・ギターに迎え、5人編成としてあ67年、ポリドール・レコードより「ニューヨーク炭坑の悲劇」(全米14位、全英12位)でデビュー。
以降、「ラブ・サンバディ」(全米17位、全英41位)、「ホリディ」(全米16位)、「マサチューセッツ」(全米11位、全英1位)、「ワールド」(全英9位)。1968年には、「ワーズ」(全米15位、全英8位)、「ジャンボー」(全米57位、全英25位)、「獄中の手紙」(全米8位、全英1位)「ジョーク」(全米6位)をリリース。同年末に、ヴィンスがプロデューサー行に転向するために脱退。1969年には、3作目『オデッサ』(前半20位、全英10位)及びシングル「若葉のころ」(全米37位、全英6位)の発売間もなくロビンがソロ・シンガーとなるべく独立、同年夏にはシングル「トゥモロウ・トゥモロウ」(全米54位、全英23位)を最後にバリーとモーリスは、コリンを一方的に解雇します。これにより、2人になったビージーズはは、「想い出を胸に」(全米73位、全英2位)リリース後改めて、バリー、ロビン、モーリスの3人は結束の下にに改めてビージーズとして再スタートします。
1975年に芸能活動20周年記念アルバム『メインテーマ・コース』(全米14位)リリース。シングルカットした「ジャイブ・トーキン」(全米1位、全英5位)、「ブロードウェイの夜」(全米7位)が大ヒット。これによりディスコ次第の幕開けとなります。以降もその路線で、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」(全米1位、全英5位)がヒット。ディスコで名実ともに人気に火が付いたビージーズは、ビージーズサウンドを取り入れた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開。「ステイン・アライブ」(全米1位、全英4位)、「恋のナイト・フィーバー」(全米1位、全英1位)、「愛はきらめきの中」(全米1位、全英3位)が次々と大ヒット。サウンドトラック『サタデー・ナイト・フィーバー』(全米1位全英1位)も世界的な大ヒットとなります。1979年『失われた愛の世界』(全米1位、全英1位)から、「失われた愛の世界」(全米1位、全英3位)、「哀愁のトラジディ」(全米1位、全英1位)が大ヒットし,70年代を終えます。
1981年のアルパム『リヴィング・アイズ』(全米41位、全米73位)に終わった後、各自のソロ活動と並行して他のアーティストへの楽曲提供が中心となり、数多くの全米ヒットを生みます。1987年にワーナー・レコードに移籍し、アルパム『E.P.S.』(全米96位、全英5位)よりシングル・カットされた「ユー・ウィン・アゲイン」(全米79位、全英1位)がヒットしました。1989年には、シングル「One」(全米7位、全英71位)が大ヒットを記録。
1989年、アンディ・ギブが早逝。2003年、メンバーのモーリス・ギブが急逝。2012年に、ロビン・ギブが死去し、ビージーズは消滅しました。
その後、ベスト盤やリミックスアルバムがヒット。いまでも、語り継がれています。

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ビージーズのメンバー2人は早くに亡くなったんですね。
ホリデー、マサチューセッツ、若葉のころは好きな曲です。
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