日本のロックンローラー

1950年代中頃、アメリカで発生した『ロックン・ロール』は、エルビス・プレスリー、チャック・ベリー、リトル・リチャードなどがスターダムを走っていました。日本でも、ミッキー・カーチス、平尾昌晃、山下敬二郎などのいわゆる『ロカビリー三人男』が人気を博しました。

1960年代は、日本ではGSブーム真っ只中であり、ロックン・ロールは下火でした。

しかし、70年代になると日本語ロックが流行。

『はっぴえんと』『頭脳警察』『外道』『サディスティック・ミカ・バンド』などが登場し、人気を集めました。そんな中に『キャロル』というバンドに1人のスターが誕生します。彼の名は、『矢沢永吉』。

子供時代は、苦労をしていたらしく、極貧生活が続き、そんな経験から「BIGになる」との思いが芽生えたと後に,矢沢自身が語っている。

1968年、広島国際学院高校卒業後、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終列車で上京。しかし、東京駅に向かうはずが、長時間の移動で尻が痛くなったのと、『ザ・ビートルズ』の出身地リバプールと横浜が同じ港町だったことから、反射的に横浜へ途中下車。チャイナタウンや喫茶タクトなどで働きながらバンド活動を始めます。

1970年、自作曲『アイ・ラブ・ユー・OK』のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」もいう理由から、東芝EMIに持ち込みますが「売れない」という理由から断られます。CBS・ソニーに持ち込みますが不採用となります。その後、「ザ・ベース」「イーセット」を経て、「ヤマト」を結成。芸能界デビューを目指すもの諸事情がありバンドは解散。

1972年、矢沢が貼り紙チラシで募集をかけ、ジョニー大倉、内海利勝、ユウ岡崎らと、ロックバンド『キャロル』を結成。ボーカル兼ベースを担当。

当時,歌謡曲やフォークが中心であり、ロックバンドは商業的に受け入れられないに突如現れ人気を博します。活動は短期間でしたが、のちの日本のロックシーンに大きな影響を与えます。

1975年、解散が決まった頃、矢沢はソロ活動を行うに際し、フォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBS・ソニーに行き、幹部と面会自らのソロ活動を担保に金銭面、ビジネス面の話をまとめます。その後キャロルは、日比谷野外音楽堂にて解散します。

同年、レーベル移籍後、キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、デビューシングル「アイ・ラブ・ユー、OK」(43位)とデビューアルバム『I Love You,OK』(8位)をリリース。

1978年、CMソング「時間よ止まれ」(1位)リリース。累計売り上げは、ミリオンセラーを記録しました。同曲では、バックバンドに坂本龍一、高橋幸弘、後藤次利が参加していました。その後、自著伝『なりあがり』を出版。100万部を超えるベストセラーとなります。1979年には、アルパム『ゴールドラッシュ』リリース(1位)。

1981年、単身渡米し、アサイラム・レコードと契約。その後、『YAZAWA』(9位)で世界デビュー。全米での売り上げは、約2000枚でした。以降主なるカツ丼拠点をロサンゼルスに定めます。

1982年、『YAZAWA It’s Just Rock’n Roll』(2位)を全米リリース。この頃から、「止まらない、Ha〜Ha〜」「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」(5位)「涙のラブレター」(9位)などが立て続けにヒット。ライブなども成功します。

1992年、元ビートルズのドラムス、リンゴ・スターの息子、ザック・スターキーをドラムスに吸えて、アルバム『Anytime Woman』(5位)リリース。1997年、イギリス・ロンドンは、ウェンブリー・スタジアムでエルビス・プレスリー没後20周年を記念してロックフェスティバル『songs and visions』にアジア代表として選ばれ、ロット・スチュワート、ジョン・ポン・ジョヴィ、ロバート・パーマー、チャカ・カーンの共演します。

2000年、ナラダ・マイケルウォールデンプロデュースのチャリティー・クリスマスアルパム『music of love〜for tomorrow’s children』に参加。ほかにも、エンヤ、スティング、スティーヴィ・ワンダーも参加しています。

2009年、『第60回紅白歌合戦』に白組のサプライズゲストとして参加。「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱し話題となります。

2021年、横浜アリーナでライブを開始。小田和正の、2019年が打ち立てた71歳10か月64公演の記録を塗り替えます。

現在、72歳。行けるレジェンド、これからの活躍に注目です。



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