パンクを日本にも根付かせた

1960年代、アメリカデトロイトで確立された『パンク・ロック』。それは、イギリスをはじめ世界中に広まりした。日本にも、その精神は受け継がれました。その代表的バンドが『THE BLUE HEARTS』です。

1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかった甲本ヒロトと真島昌利、河口純之助の3人は下北沢のバイト先で出会い、『Traditional』というセッションバンドを行なったり、バンドの事について語ったりして飲んで遊んだりしているうちに意気投合します。

1984年、『ロードサイド・ロッカーズ』というイベントで、ボーカル・甲本ヒロト、ギター・真島昌利&河口純之助、ベース・コハマ、ドラムス・不明の5人で原宿ホコ天でライブをします。

1985年、それぞれのバンドを解散したり脱退したりしていた甲本と真島らは、本気でバンド結成を考えるようになり、2人を中心とした『THE BLUE HEARTS』を結成。同年、初ライブを行う事となりました。同年の夏に、彼らのマネージャーとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌86年、梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラムスとして参加。結成当初は、渋谷のライブハウス・渋谷屋根裏を拠点として多くの活動をしていました。梶原の加入時から、世間で『面白いバンドがいる』と話題となります。

1987年、「人にやさしく」(26位)で、シングルデビュー(インディーズ・デビューシングルは、「1985」(ソノシート盤))。同年、メダリックよりメジャーデビューシングル「リンダリンダ」(38位)リリース。当時にデビューアルバム『THE BLUE HEARTS』(31位)をリリース。

口コミなどで若者に彼らの評判は広がり、全国に知られるようになり、第二次バンドブームの先駆けとなりした。1987年に、2作目『YOUNG AND PRETTY』(10位)をリリースし、好調でした。シングル「キスしてほしい」(48位)がヒット。

1988年、3作目『TRAIN-TRAIN』(3位)は、50万枚を売り上げる大ヒットとなります。同タイトル曲(5位)、「ラブレター」(23位)、「青空」(8位)とヒットを連発。この頃から、『THE BOOM』、『JUN SKY WALKER(S)』と”バンド御三家”と呼ばれるようになり大ブレイクします。

1990年の4作目『BUST WASTE HIP』(1位)からは、シングル「情熱の薔薇」(1位)、「首つり台から」(13位)がヒット。

1991年、5作目『HIGH KICKS』(3位)からは、シングル「あの娘にタッチ」(24位)、「TOO MUCH PAIN」(29位)がヒット。

1993年には、6作目『STICK OUT』(1位)からは、シングル「夢」(14位)、「旅人」(50位)、「1000のバイオリン」(47位)がヒット。同年、7作目『DUG OUT』(2位)からは、シングル「パーティー」(80位)、「夕暮れ」(71位)がヒット。

そして、1995年にラストアルバム『PAN』(2位)を最後にバンドは解散しました。

甲本と真島は、新たに『↑THE HIGH-LOWS↓』や『ザ・クロマニヨンズ』で活動。

『THE BLUE HEARTS』の楽曲は、後にCMソングやドラマの主題歌などで大ヒットし、現在も人気は途絶えていません。



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