ボブ・ディランやニール・ヤング、ジョン・デンバーなど、男性のシンガーは多くいますが、60年代において女性シンガーはほぼ皆無でした。流行の先端といえば、『ジョーン・バエズ』がいます。
1942年、ニューヨーク州のスタテン島にてメキシコ系の家に生まれます。彼女の一家は、クエーカー教徒でした。父親のアルバートは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、それはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動へ影響を及ぼしたした。妹のミミ・ファリーニャもフォーク歌手でした。
歌手としての経歴は、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルから始まった。1960年、ファースト・アルバム『ジョーン・バエズ』(全米20位、全英9位)をヴァンガード・レコードから発売。同作は「ドナドナ」「朝日のあたる家」などトラディショナルのフォーク・バラード、ブルースと哀歌が、彼女自身のギターによって演奏されたものした。
1931年発売の『ジョーン・バエズ 第2集』(全米21位)はゴールド・アルバムとなり、翌年リリースされた『イン・コンサート』(全米10位)も同じくゴールド・アルバムを獲得します。バエズは、1960年代初頭から中期に掛けて、アメリカにおけるルーツ・リバイバルの先頭に立ち、自らの聴衆に対し、ブレイク前のボブ・ディランを紹介し、また多くのアーティストは彼女を模倣しました。
1968年、ディランの作品のみを歌った2枚組のアルバム『ボブ・ディランを歌う』(全米30位)を発表。シングルカットされた「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード」(全米86位)はバエズのコンサートの定番曲のひとつとなりました。
1969年、 ウッドストック・フェスティバルに出演。
1971年、アルバム『心、愛、祈り』(全米11位)をリリース。シングル「オールド・ディキシー・ダウン」は、ザ・バンドのカバーであったが、全米3位、全英6位と大ヒットを記録します。
1975年には、ジャス要素を取り入れた『ダイアモンド&ラスト』(全米11位』がヒットします。
2010年、スペイン政府より芸術文学の勲章を受勲し、Excelentisima Señoraの称号を得ます。
2017年、『ロックの殿堂』入りを果たしました。
2018年、10年ぶりのアルバム『Whistle Down the Wind』(全米88位)をリリース。この作品と、それに伴うワールドツアーが最後になると明言し、第一線からの引退を表明しました。
彼女の活躍は、後々のジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタット、キャロル・キングなどの女性シンガーを産む引き金となりました。

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