マイケル・ジャクソンは、”キング・オブ・ポップ”と呼ばれます。では、女性は❓”クイーン・オブ・ポップ”と呼ばれるミュージシャンがいます。それこそが、『マドンナ』です。
1958年、母の実家のあるアメリカ合衆国ミシガン州ベイシティのマーシー病院にて、8人兄妹の3番目として誕生。
父はイタリア系アメリカ人1世のシルビオ・チッコーネ、母はフランス系カナダ人のマドンナ・ルイーズ・チッコーネ。幼少期を同州ポンティアック市で過ごした後、家族が増えたことにより同州ローチェスターヒルズ市へ転居します。
父は、GMのデザインエンジニア。実母は、マドンナが5歳の時乳癌で死去し、父はほどなく再婚しました。母の死や、父および継母との確執は彼女の心に大きな影響を及ぼし、「プロミス・トゥ・クライ」「オー・ファーザー」などの楽曲で歌われています。一方で弟や妹の面倒もよく見ていました。習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親にバレエを習いたいと懇願し、変えてもらいました。その後、モダンダンスやジャズダンスなどのダンスも習っています。
ミシガン大学に進学したが中退し、1978年、35ドルを手にグレイハウンドの長距離バスで郷里を後にニューヨークへ出発。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手にこの街で一番大きな場所へ行ってと言い、タイムズスクエアで降りたマドンナは「私はこの世界で神よりも有名になる」(神様と同じぐらい有名になるまで、私は幸せではない)と誓います。無名時代には糊口をしのぐため、ヌード・モデルを引き受けたりもしています。なお、ベジタリアンとなったのは、ニューヨーク移住後です。
同年、ニューヨークで、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就き、この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売されました。81年にソロとなり、ポップ・スターを目指すようになります。83年から84年にかけては、黒人ミュージシャンのレジー・ルーカスの制作によるファースト・アルバムから「ホリデイ」(全米16位、全英2位)「ボーダーライン」(全米10位、全英2位)「ラッキー・スター」(全米4位、全英14位)が連続ヒットとなった。ファーストは、ソウル、ダンスのファンからも評価されました。セカンド・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』(英米1位)からもヒットが出たが、セカンド以降はポップス・ファンによる人気に支えられたスターになり、21世紀にいたっています。また、アルバムも2100万枚を売り上げ、表題曲(全米1位、全英3位)、「マテリアル・ガール」(全米2位、全英3位)、「エンジェル」(英米5位)、「イントゥ・ザ・グルーヴ」(全英1位)、「ドレス・アップ・ユー」(英米5位)とヒットを量産しました。
俳優のショーン・ペンと結婚、離婚、映画監督のガイ・リッチーと結婚、離婚しています。マドンナはカバラ教徒だったが、ガイ・リッチーはクリスチャンであり、離婚時にはガイ・リッチーに、マドンナ側が推定7600万〜9200万ドル(約60億〜72億円)を支払っています。1996年に生まれた長女は「ルルド(英語読みでローデス)・マリア」と命名されました。21世紀には、コンサートの高額な入場料も話題になりました。
1986年4月、新作アルバムからの先行シングルで、夫のショーン・ペン主演映画『ロンリー・ブラッド』の主題歌でもあった「リヴ・トゥ・テル」(全米1位、全英2位)を発表。6月には第二弾シングル「パパ・ドント・プリーチ」(英米1位)を発表し、当時アメリカ社会で問題になっていた10代の妊娠について書かれたこの曲は、社会政治団体を巻き込んだ論争となりました。「パパ・ドント・プリーチ」のミュージック・ビデオと共に、3rdスタジオ・アルバム『トゥルー・ブルー』(英米1位)を発売。全世界28ヵ国で1位を記録する大ベストセラーとなり、この記録は『ギネス世界記録』にも認定されました。第3回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで特別功労賞である「MTVビデオ・ヴァンガード賞」を授与されました。同じくショーン・ペンと共演した映画『上海サプライズ』が公開。12月には第四弾シングル「オープン・ユア・ハート」を発表し、全米チャートでは「リヴ・トゥ・テル」、「パパ・ドント・プリーチ」に続く全米1位(全英4位)を獲得しました。
1987年1月、第14回アメリカン・ミュージック・アワードで「Favorite Pop/Rock Female Video Artist」を受賞。ローリング・ストーン誌の第11回読者投票により、「最優秀女性アーティスト」と「最もセクシーな女性アーティスト」に選ばれます。第13回ピープルズ・チョイス・アワードで「Favorite Female Musical Performer」に選ばれます。6月、初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」の日本公演のため2度目の来日を果たし、計4公演(大阪・東京)で12万2000人を動員。自身の主演映画のサウンドトラック『フーズ・ザット・ガール』を発売し、全米1位に輝いたタイトル曲と「コモーション」がそれぞれ大ヒットを記録。米経済誌『フォーブス』で「年間最も稼いだ女性エンターテイナー」として掲載された[23]。11月にはリミックス・アルバム『ユー・キャン・ダンス』(全米14位、全英5位)を発売。
1989年、ペプシコーラ社との間で、コマーシャル出演料として500万ドル(約4億円)の契約を結びます。4thスタジオ・アルバム『ライク・ア・プレイヤー』(英米1位)を発売。タイトル曲「ライク・ア・プレイヤー」(英米1位)のミュージック・ビデオで十字架を燃やすなどの大胆な演出を用い、世界的な宗教上の議論を巻き起こしました。ショーン・ペンと離婚。
1990年、シングル「ヴォーグ」(英米1位)を発表。ミュージック・ビデオで披露されたヴォーギングが流行して600万枚以上を記録する大ヒットとなります。通算3度目のツアー「ブロンド・アンビション・ツアー」を敢行、来日公演を皮切りに4ヶ月間、全57公演を行います。出演映画『ディック・トレイシー』を基に作られたサウンドトラック『アイム・ブレスレス』(全米2位、全英1位)を発売。11月には初のベスト・アルバム『ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』(全米2位、全英1位)を発売し、全世界でソロ・アーティストのベスト・アルバムとしては史上最高売上となる3000万枚を記録します。アルバムからのシングル「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」(全米1位、全英2位)のミュージック・ビデオは、性的表現が過激と見なされMTV史上初の放送禁止となりました。
1991年3月、第63回アカデミー賞で「スーナー・オア・レイター」が「アカデミー歌曲賞」を受賞。5月、第44回カンヌ国際映画祭において、「ブロンド・アンビション・ツアー」の舞台裏から彼女の私生活までを赤裸々に綴った自身初のドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』が初上映されます。公開当時、ドキュメンタリー映画史上最高の世界興行記録を更新します。
1992年、米タイム・ワーナーと当時としては破格の6000万ドルで契約し、総合エンターテイメント会社「マーヴェリック」を設立、社長に就任する、野球選手役で出演した映画『プリティ・リーグ』が公開、主題歌「マイ・プレイグラウンド」(全米1位、全英3位)は自身10曲目となる全米1位を記録します。5thスタジオ・アルバム『エロティカ』と、スティーブン・マイゼルによって撮影された自身初の写真集『SEX』を同時発売。『SEX』は過激な性的描写が物議を醸したものの、アメリカでは毎週50万部という驚異的なセールスを記録しました。
1993年、主演を務めた映画『BODY/ボディ』と『スネーク・アイズ』が公開。9月から通算4度目のツアー「ザ・ガーリーショー・ツアー」を敢行し、12月の来日公演で千秋楽を迎えます。
1994年3月、米CBSのトーク番組『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』で放送禁止用語を連発し、世間の非難を浴びたました。ベイビーフェイスをプロデューサーに起用した6thスタジオ・アルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』(全米3位、全英2位)を発売。アルバムからのシングル「テイク・ア・バウ」は自己最長記録となる全米7週連続1位(全英16位)を記録する大ヒットとなります。
1995年、日本で宝酒造の焼酎「純」のCMに出演し、未発表曲がCMソングとして使用された。初のバラード・ベスト・アルバム『ベスト・オブ・マドンナ〜バラード・コレクション』(全米6位、全英3位)を発売、全世界で1000万枚を売り上げました。
1996年、パーソナル・トレーナーのカルロス・レオンとの間に授かった第一子となる長女ローデス・マリア・チッコーネ・レオンを出産。ミュージカル映画『エビータ』が公開。劇中での85回の衣装替えは映画史上最多を記録し、『ギネス世界記録』に認定されました。
1997年、主演映画『エビータ』で第54回ゴールデングローブ賞の「主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)」を受賞[21]。同映画サウンドトラックからのシングル「ユー・マスト・ラヴ・ミー」(全米18位、全英10位)は、第54回ゴールデングローブ賞「主題歌賞」と、第69回アカデミー賞「アカデミー歌曲賞」を受賞。
1998年3月、7thスタジオ・アルバム『レイ・オブ・ライト』(全米2位、全英1位)を発売。「90年代最も優れたポップ音楽の傑作の一つ」と称賛されたこの作品は、全世界で2000万枚を売り上げる大ヒットとなります。アルバムからは「フローズン」(全米2位、全英1位)、「レイ・オブ・ライト」(全米5位、全英2位)など計5曲がシングルカットされました。9月には第15回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで「最優秀ビデオ賞」を始め、この年最多の合計6部門を受賞。
1999年2月、第41回グラミー賞でアルバム『レイ・オブ・ライト』が「最優秀ポップ・アルバム賞」など合計4部門を受賞、授賞式では赤い着物姿で「ナッシング・リアリー・マターズ」を披露しました。5月、映画『オースティン・パワーズ:デラックス』の主題歌として「ビューティフル・ストレンジャー」(全米19位、全英2位)を発表、翌年の第42回グラミー賞で「最優秀主題歌賞」を受賞。
2000年、主演映画『2番目に幸せなこと』の主題歌「アメリカン・パイ」(全米29位、全英1位)を発表。8thスタジオ・アルバム『ミュージック』(英米1位)を世界同時発売。『ライク・ア・プレイヤー』以来11年ぶりとなる全米1位獲得を含め、世界23ヶ国で1位を記録。さらに、第一弾シングル「MUSIC」も世界25ヶ国で1位を記録する大ヒットとなりました。イギリス人映画監督ガイ・リッチーとの間に授かった、マドンナにとっては第二子となる長男ロッコ・リッチーを出産。スコットランドのドーノック大聖堂にてガイ・リッチーと結婚。
2001年、第43回グラミー賞でアルバム『ミュージック』が「最優秀レコーディング・パッケージ賞」を受賞。通算5度目のツアー「ドラウンド・ワールド・ツアー」がスペインからスタート。ツアーの収益はソロ・アーティストの中では同年最高額となる7400万ドルを記録。3枚目のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ VOL.2 』(全米7位、全英2位)を発売。
2002年10月、自身もカメオ出演した映画『007 ダイ・アナザー・デイ』の主題歌「ダイ・アナザー・デイ」(全米8位、全英3位)を発表。同月、主演映画『スウェプト・アウェイ』が全米公開されるが興行的に失敗し、イギリスではビデオスルーとなります。
2003年4月、9thスタジオ・アルバム『アメリカン・ライフ』(英米1位)を発売。タイトル曲「アメリカン・ライフ」(全米37位、全英2位)のミュージック・ビデオは反戦をイメージした過激な内容で物議を醸し、折しもイラク戦争開戦と時期が重なったため、世界情勢を考慮しアメリカでのテレビ放映が自粛されます。第20回MTV ビデオ・ミュージック・アワードでブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラと共演、2人とディープキスをするという過激なパフォーマンスが話題を呼びました。初の児童書となる『イングリッシュ・ローズィズ』が30ヶ国語に翻訳され、世界100ヶ国以上で発売。ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト(児童書部門)で1位を獲得する大ヒットとなります。
2004年、1992年に自ら設立したレーベル「マーヴェリック・レコード」が、財政難から親会社ワーナー・ブラザース・レコードに売却されました。通算6度目のツアー「Re-インヴェンション・ツアー」がロサンゼルス公演を皮切りにスタートします。全56公演中55公演を完売させ、2004年のツアー最高興行収入を記録。11月にはイギリスのミュージック・シーンに多大な影響を及ぼしたアーティストとして、UK音楽の殿堂入りを果たします。
2005年、スマトラ島沖地震・津波のチャリティー番組『Tsunami Aid: A Concert of Hope』にロンドンから出演し、ジョン・レノンの「イマジン」を披露しました。世界9ヵ国で開催された「LIVE 8」のロンドン会場に出演しました。47歳の誕生日にロンドン郊外の自宅で落馬し、怪我を負いました。ABBAの「ギミー!ギミー!ギミー!」をサンプリングした新曲「ハング・アップ」(全米7位、全英1位)を新作アルバムからの先行シングルとして発表します。11月、10thスタジオ・アルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』(英米1位)を発売。アルバムは全世界40ヶ国で1位、シングル「ハング・アップ」は全世界41ヶ国で1位を記録し、それぞれギネス世界記録で「ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数」と認定されます。アルバムのプロモーションのために1993年以来通算5度目となる来日を果たし、記者会見、STUDIO COASTでのクラブイベント、『めざましテレビ』の単独インタビュー、『SMAP×SMAP』の収録を行いました。
2006年、「Re-インヴェンション・ツアー」の模様や私生活の内容を収めた14年ぶりのドキュメンタリー作品『アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット』が発売。来日記念盤『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア〜ジャパン・ツアー・エディション』が日本限定で発売されました。同年からスタートした通算7度目となるツアー「コンフェッションズ・ツアー」の日本公演のために来日、計4公演(大阪・東京)で15万6000人を動員。ルイ・ヴィトン六本木店で開催された写真家スティーヴン・クラインとマドンナの映像芸術展「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニングに登場しました。夫のガイ・リッチーとともにアフリカ大陸南東部のマラウイを訪れ、現地の孤児院で出会った当時1歳の男児デヴィッド・バンダを養子に迎えると発表、全世界でこの養子縁組に関して論争が巻き起こりました。マラウイの裁判所から18ヶ月の仮養子縁組を認められ、2008年5月に正式に養子縁組が成立しました。
2007年度版の『ギネスブック』でマドンナは2004年に5000万ドル(約59億円)を稼いだとして「地球上で最も稼いだ女性シンガー」に認定された[64]。2007年2月、東京・有明の高層マンション『ブリリアマーレ有明』の広告キャラクターに起用された。第49回グラミー賞にてアルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』が「最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム賞」を受賞しました。同年に出演したチャリティーコンサート『ライブ・アース』の為の書き下ろし曲「ヘイ・ユー」(全英187位)をダウンロードのみで発表。デビュー以来所属していたワーナー・ミュージック・グループとの契約を解消し、コンサートプロモーション会社「ライブ・ネイション」と10年間で1億2000万ドル(約140億円)の包括契約を締結しました。
その後も『ハード・キャンディ』(英米1位、2008年)、『MDNA』(英米1位、2012年)、『レベル・ハート』(英米2位)、『マダムX』(全米1位、全英2位)とヒットを量産。
現在、63歳。まだまだ活動の場を広げています。

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