『ブラック・サバス』『ディープ・パープル』『レッド・ツェッペリン』など、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルバンドはいますが、”メタル”と言うジャンルが語られたバンドは『ブルー・オイスター・カルト』です。
1967年、サンディ・パールマンが、自作の詩「The Soft Doctrines Of Imaginos(イマジノスの柔らかな経典)」(#イマジノス参照)の世界観を、ロックによって表現するというコンセプトで、協力者アルバート・ブーチャード(B)とともにミュージシャンを集め、ニューヨーク市のロングアイランドで結成された。結成当初のバンド名は「Soft White Underbelly」でした。パールマンはマネージメントを担当し、ライブのブッキングやレコード契約を速やかにまとめて、彼らを表舞台に送り出したのであるが、バンドに与えたパールマンの影響はそれに留まらず、自作の詩をバンドのオリジナル曲の歌詞の素材として提供し、バンドが生み出した世界観にも決定的な影響を与えました。
1968年、エレクトラ・レコード向けにアルバムを制作するが、エレクトラの反応は悪く、アルバムの発売は中止されます。一方バンドはシンガーを交替させ、エリック・ブルーム(Vo/G)を迎え入れます。1969年、バンドはフィルモア・イーストの舞台に立つが、ステージの評判は今ひとつであった。パールマンはバンド名の変更を決定。「オアハカ」「ストーク・フォレスト・グループ」など短期間にバンド名を入れ替えます。結局バンド名が『ブルー・オイスター・カルト』に落ち着いたのは1970年のことでした。この間に、またいくつかの楽曲をレコーディングしているが、エレクトラはサンプル盤としてシングルを300枚プレスしたに留まりました。
1972年、「コロムビア・レコード」より『Blue Öyster Cult』(全米172位)でデビュー。変形十字のシンボルマークもこの時から使用が開始されてます。アルバムはビルボード200にチャートインし、バーズやアリス・クーパー、マハヴィシュヌ・オーケストラらと盛んにツアーを行って知名度を上げていった。レーベルは彼らをアメリカ版ブラック・サバスとして売り出そうと試み、『Tyranny and Mutation』(全米122位、1973)、『Secret Treaties』(全米53位、1974)とコンスタントにアルバムをリリースします。
ライブ・アルバム『On your feet or on your knees』(全米22位、1975)の好調なセールスにより広く知られるようになりました。なお、このアルバム題名となっている’On your feet or on your knees!’を冒頭でMCとして叫んでいるのはニューヨーク・パンクの礎の一人でもあるパティ・スミスです。当時としてはLP盤2枚組の高価なセットであったが、N.Y.でのアンダーグラウンド系ロックの記録として未だに評価が高い録音であり、スタジオ録音のB.O.Cとは趣が異なる演奏が聴ける名作です。次いで代表作ともいえる『Agents of Fortune』(全米29位、全英26位、1976)をリリースします。『Agents of Fortune』からのシングルで、リードギターのバック・ダーマが曲を作り歌も担当した「(Don’t Fear) The Reaper」が全米12位まで上昇し、アルバムはゴールド・ディスクを獲得する。ダーマのボーカルはソフトで、そのバックもソフトロックサウンドであり、ハードロックサウンドは曲中の展開部の一部のインスト部に限られたもの。ともあれ、1980年代のハード・ロック・ブーム以前にこの数字を出したハード・ロック・バンドはさほど多くありません。
『Spectres』(全米43位、全英60位、1977)では、ゴジラをテーマにしたシングル「Godzilla」が、エリック・ブルームによる日本語ナレーションを挿入したこともあり、ハード・ロック通の間でネタとして評判になるも、前作ほどの成功は収められませんでした。翌年、ライブ・アルバム『Some Enchanted Evening』(全米44位、全英18位、1978)をリリース。プラチナ・アルバムを獲得します。コンサートにおいては、レーザー・システムを導入するなど、派手なパフォーマンスでも注目を浴びます。1979年には初来日を果たます。
1979年、バンドはそれまでの全てのアルバムをプロデュースしていたサンディ・パールマンに代わり、トム・ワーマンを迎えて『Mirrors』(全米44位、全英46位、1979)をリリースする。しかし完成したアルバムは重さに欠けるとして不評を買います。続いて、マーティン・バーチをプロデューサーに起用してアルバム『Cultösaurus Erectus』(全米34位、全英12位、1980)をリリース。マーティン・バーチの起用は、当時ブラック・サバスのマネージメントをも請け負っていたパールマンの引きによるものでありました。つまりパールマンはブラック・サバスの『ヘヴン&ヘル』(1980)のサウンドをブルー・オイスター・カルトに持ち込もうとしたのです。この試みは一定の成果を挙げ、アルバムはイギリスにおいてもヒットします。
同じくマーティン・バーチのプロデュースした『Fire of Unknown Origin』(全米24位、全英29位、1981)では、シングル「Burnin’ For You」が全米トップ40入りするヒットとなります。この曲は当初”バック・ダーマ” ローザー(Vo/G)のソロ・プロジェクト用に書かれたものであったが(ブルー・オイスター・カルトには合わないと判断された)、パールマンの指示でアルバムに収録されることとなりました。また、本作収録の「Veteran of the Psychic Wars」の歌詞はマイケル・ムアコックが書いたことで知られています。このアルバムに伴うツアーの最中、アルバート・ブーチャード(Ds)が失踪するという事件も発生。この時に代役となったのは、バンドのライティング担当技師だったリック・ダウニー(Ds)でした。このツアー音源を元に、ライブ・アルバム『Extraterrestrial Live』(全米29位、全英39位、1982)をリリース。アルバート・ブーチャードがドラムを叩いているのは2曲だけで、残りはリック・ダウニーのプレイである。ダウニーはその後正式なドラマーとしてバンドに加入。この頃アルバート・ブーチャードは、バンド結成の発端であり、後述するパールマンの創作企画「イマジノス」の実現に取り組んでいました。
プロデューサーにブルース・フェアバーンをむかえ、『The Revölution by Night』(全米93位、全英95位、1983)をリリース。バンドはアルバムの出来に満足していたが、セールス的には前スタジオ作に届きませんでした。このアルバムに伴うツアーを終えてリック・ダウニーは脱退。
1985年、バンドは2週間の西海岸ツアーをブッキングされるがドラマーが不在のままだったため、急遽アルバート・ブーチャードを呼び戻してツアーは行われました。ツアー終了とともにアルバート・ブーチャードは再び離脱。続いてアラン・レイニア(Key)も脱退してしまいます。レーベルとの契約消化のため、バンドは不本意ながらの作品『Club Ninja』(全米63位、1986)をリリース。新メンバーにジミー・ウィルコックス(Ds)とトミー・ズヴォンチェク(Key)が加入。スタジアム・ロック的でもあるこのアルバムは、そこそこのセールスをあげたものの、以前のブルー・オイスター・カルトを知るファンからの評価は下がります。
1987年、加入したウィルコックスとズヴォンチェク(Key)が短期間で脱退。オリジナル・メンバーのエリック・ブルームと”バック・ダーマ” ローザーの2人だけとなり、バンドは空中分解します。
1988年、コンセプト・アルバム『Imaginos』(全米122位)が突如リリースされます。このアルバムの企画は、サンディ・パールマンが、ブルー・オイスター・カルトが結成される前から構想していたもので、そのコンセプトはハワード・フィリップス・ラヴクラフトのクトゥルフ神話をベースにしていたものでした。3rdアルバム『Secret Treaties』に収録された「Astronomy」と「Subhuman」も、実はこのコンセプトに基づき書いた曲でした。
アルバート・ブーチャードは、その後も曲を書き溜めており、バンドを脱退した1982年にこの作業に本格的に取り組み、レコーディングを行います。しかし「コロムビア・レコード」は、アルバート・ブーチャードのソロ・アルバムとしては、この企画に興味を示さなかったため、パールマンは、エリック・ブルームと”バック・ダーマ” ローザーに協力を仰ぎ、新たなボーカルと演奏を加え、ゲストプレイヤーにジョー・サトリアーニやロビー・クリーガーらを迎えて、ブルー・オイスター・カルト名義のアルバムとしてリリースされました。
同時に発表されたスティーヴン・キングのナレーションが入ったミュージック・ビデオとともに、コンセプト・アルバムとしての評価を得たものの売り上げは芳しくなく、バンドはレーベルのプロモーションがない状態でツアーせざるを得ませんでした。「コロムビア・レコード」がソニーに売却される際、バンドは契約を失ってしまいます。
コンセプト・アルバム『Imaginos』以降、バンドは散発的な動きしかみせなかったが、1990年代後半に「CMCレコード」と契約してからは、活動がまた活発になります。
1998年、10年ぶりのアルバム『Heaven Forbid』をリリース。サイバーパンク系SF作家のジョン・シャーリーのコンセプト、および歌詞提供が話題となった。1999年、20年ぶり2度目の来日を果たします。
2001年、アルバム『Curse Of The Hidden Mirror』をリリース。
2013年、創設メンバーの一人 アラン・レイニア(Key/G)が他界。残されたエリック・ブルームとバック・ダーマの2人を中心にメンバーチェンジを繰り返しながら、主に全盛期の曲をメインとしたライブ活動を行います。
2019年、イタリアのフロンティアーズ・レコードと契約し、2020年にはオリジナルアルバムとしては19年ぶりとなる『The Symbol Remains』をリリース。32年ぶりにビルボード200チャートイン(192位)を果たします。
その他、1991年にリリースされたライブビデオからの音源で製作された『Live 1976』(1994)。2002年にリリースされたライブDVDからの音源で製作された『A Long Day’s Night』(2004)などのライブアルバムがリリースされています。
メタルバンドとして初めて認識された彼ら。これからも華々しい活躍をすることでしょう。

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