グラム・ロックの亜種

『デビッド・ボウイ』『T.レックス』『スウィート』などにより誕生したジャンル『グラム・ロック』。そこに、新たなるバンドが誕生しました。それが、『モット・ザ・フープル』です。

1968年に結成された、『サイレンス』というバンドを前身とします。アイランド・レコードのプロデューサーのガイ・スティーヴンスが、ヴォーカルのスタン・ティピンズに不満を感じ、オーディションを経てイアン・ハンターがヴォーカルとして加入。スタン・ティピンズは、ロードマネージャーとしての役割を与えられ、時折レコーディングやライヴにも参加しました。その後、バンド名をウィラード・メイナスの小説から採り、『モット・ザ・フープル』と改め、アイランド・レコードと正式に契約し1969年にデビューします。

デビュー作『モット・ザ・フープル』(全英66位、全米185位)を発表。1970年『マッド・シャドウ』(全英48位)、1971年『ワイルドライフ』(全英44位、全米207位)、『ブレイン・ハリケーン』(全米208位)と、当初からライヴが好評だったが商業的に振るわず、1972年チューリッヒ公演の後、ついに解散を決定します。しかし、早くからファンだったデヴィッド・ボウイが、その話をオヴァレンド・ワッツから聞き付け、メンバーを説得、楽曲の提供とプロデュースを申し出ます。当初、ボウイから提示された曲は「サフラジェット・シティ」(『ジギー・スターダスト』収録)だったが、モット・ザ・フープル側はこれを拒否、改めてボウイは別の楽曲を提供、モット・ザ・フープル側も大変気に入ったのが、1972年の『すべての若き野郎ども』(全英21位、全米89位)がスマッシュヒット。シングル「すべての若き野郎ども 」でした。CBS移籍後に発表されたこの曲は、モット・ザ・フープル最大のヒットとなり(全英3位、全米37位)、またグラムロックを代表する曲のひとつとなります。ちなみにボウイは、「ドライブ・イン・サタディ」(『アラジン・セイン』収録)も提供しようと持ち掛けたが実現しませんでした。これは自作曲「ホナルーチ・ブギ」がヒットした事もあり、新たな曲提供は不要とモット・ザ・フープル側が断ったためです。ボウイは、もし実現していたら素晴らしい仕上がりになったであろうと回想しています。

1973年、自作曲を発表する機会が少ないことを理由にヴァーデン・アレンが脱退し、バンドは暫くの間4人編成での活動を余儀なくされる。シングル「メンフィスからの道 」(全英10位)がヒットするが『革命』(全英7位、全米35位)の発表直前にミック・ラルフス(ギター)が脱退し、ポール・ロジャースらと共にバッド・カンパニーを結成。脱退の理由についてミック・ラルフスは、「いつも思っていたんだ。俺が書いた曲はポールみたいな人に歌ってもらいたがってるなって。俺たち2人にとっては完璧な組み合わせだったよ。で、すぐに行動に移したんだ」と語っています。アレンとラルフスの後任としてモーガン・フィッシャー、ミック・ボルトン(UFO (バンド)のギタリストと同名だがまったくの別人)、ルーサー・グロヴナーが加入。ルーサー・グロヴナーは、まだアイランドとの契約が残っていたため、『アリエル・ベンダー』という名前で活動することになります。

1974年には『ロックンロール黄金時代』(全英11位、全米28位)がヒットしたが、同年にミック・ボルトンが脱退、後任としてブルー・ウィーバーが加入します。同年、ルーサー・グロヴナーが脱退。後任としてミック・ロンソンを迎え入れ、マスコミはこれを歓迎しましま。しかし同年、アメリカン・ツアーのプロモーションのためミック・ロンソンと共に渡米していたイアン・ハンターが心労により体調を崩し入院し、そのままミック・ロンソンと共にグループを脱退。モット・ザ・フープルの解散が正式に告げられました。ミック・ロンソン在籍時に録音された曲は、シングル「モット・ザ・フープル物語」と「ラウンジ・リザード」のデモ録音のみでした。

その後、残ったメンバーはレイ・メジャーを加えるが、ヴォーカリスト探しは難航し、最終的にミック・ラルフスの紹介でナイジェル・ベンジャミンが加わりバンド名を『モット』と改名するが、セールスは大きく落ち込み、さらに1977年にはヴォーカルのナイジェル・ベンジャミンが脱退し、ジョン・フィドラーに替わり『ブリティッシュ・ライオンズ』と改名し、アメリカに進出するが、レコード会社の支持を得られず、2作目のアルバムは未発表のまま翌年に解散しました。

2009年、モット・ザ・フープル結成40周年を記念してオリジナルメンバーでの再結成ライヴがモンマスでウォーミングアップギグを行い、5日間限定で、ロンドンのハマースミス・アポロにて行なわれる事が発表されました。しかし、デイル・グリフィンは体調が悪化したため一部の曲のみ参加し、プリテンダーズのマーティン・チェンバースが代役を務めます。2013年にも、同様のメンバーでイギリス・ツアーを行いました。

2016年、ドラマーのデイル・グリフィンがアルツハイマー病から生じた合併症により死去(享年67歳)。

2017年、ベーシストのオヴァレンド・ワッツが喉頭癌により死去(享年69歳)。

2018年、イアン・ハンターと、これまでの再結成に未参加だったアリエル・ベンダー(ルーサー・グロヴナー)、モーガン・フィッシャーによって再結成(サポートはイアンのバックバンド)。スペインのフェスAzkena Rock Festivalに出演、同月英フェスRamblin’ Man Fairにヘッドライナーとして出演、スウェーデンで公演しました。

2019年には同メンバーで「モット・ザ・フープル’74」プロジェクトを始動、45年ぶりとなるアメリカ・ツアー(8公演)、そしてイギリス・ツアー(6公演)を行いました。

ツアーが好評で、アメリカ・ツアー(11公演)を行う予定であったが、直前にイアンの体調不良(深刻な耳鳴り発症)によりツアー中止となりました。

正に、”亜種”と言うべき変幻自在なバンドです。

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