『プログレッシブ・ロック』といえば、『ピンク・フロイド』『キング・クリムゾン』ですが、日本にもそのようなバンドがいました。『PYG(ピッグ)』です。
1970年、グループ・サウンズブームの時期に最高の人気を誇っていたザ・タイガースの解散が発表された。つづいて、タイガースと人気を二分したザ・テンプターズの解散公演が東京・大手町のサンケイ・ビル内の小ホールで行われました。また、同じくブームの火付け役ともいえるザ・スパイダースも、同月、解散を発表しました。
その直後の1971年、東京・四谷の料亭に元テンプターズの萩原と大口広司、元スパイダースの井上堯之と大野克夫、それにタイガースの岸部修三(岸部一徳)と沢田研二が集結。沢田を除く5人は1970年末から、その頃既に台頭していたニュー・ロック(日本では、アート・ロックやサイケデリック・ロックに影響を受けたロックをまとめて「ニュー・ロック」と呼んでいた)のバンドを結成する計画を話し合ってきています。
一方1969年秋頃から、タイガースが所属していた渡辺プロダクションは、沢田を将来的にソロ・シンガー/タレントとして活動させることを目論み、バンド内であからさまに沢田を優遇し、他のメンバーを「バック・バンド」として冷遇したが、当の沢田はソロになることを頑なに拒否し、タイガースの解散にも最後まで反対しました。沢田はあくまでバンドとしての活動に執着したが、この姿勢は、後々まで専属バンドと共に活動するという沢田のポリシーになっていきます。
そんな沢田を、岸部が前述の「ニュー・ロック・バンド構想」に誘います。沢田も「サリー(岸部)がいてくれるなら」と加入を決意。渡辺プロも、沢田をプロダクションに残すことが最重要事項だったため、新バンドを渡辺プロに所属させるという条件でこれを認め、新バンドやメンバーのマネージメントを行う子会社「渡辺企画」を設立します。
1971年、日本武道館においてタイガースは解散コンサートを開き、GSの雄であった彼らの解散によって“グループ・サウンズ”の歴史も幕を下ろしました。各々のグループを解消した6人はリハーサルを開始。バンド名を『PYGと』しデビュー。井上堯之をリーダーに据え、本格的なロック・バンドを目指しました。
1971年3月に京都大学西部講堂で行われたロック・フェスティバル「第1回 MOJO WEST」でのデビュー・ステージ・アクトでは、聴衆から猛烈な罵声を浴び会場は大混乱(内田裕也が聴衆を説得し、収拾した)。4月に日比谷野外音楽堂で開催された 日比谷ロック・フェスティバルでも、「帰れ」コールを浴びせられ、ステージに物が投げられるなどの騒ぎとなります。このような、まさに暗中模索ともいえる船出の中、ファースト・シングル『花・太陽・雨』(作詞:岸部修三、作曲:井上堯之)、ファースト・アルバム『PYG!』を発売。アルバムは、オリコンアルバムチャートで10位となりました。日本のロックはモップス、頭脳警察からPYGを経て、カルメンマキ&OZ、クリエーション、紫、コンディション・グリーンら引き継がれていきます。
1971年9月、ドラムスが大口広司から「ミッキーカーチス&サムライ」のメンバーだった原田祐臣へ交替。萩原も活動の舞台をテレビや映画に移すようになり、テンプターズ時代からのファンは徐々に姿を消し始め、1972年には客席のほとんどが沢田のファンで占められるようになります。
1971年、『萩原健一+PYG』のクレジットでサード・シングル『もどらない日々』(作詞:岸部修三、作曲:井上堯之、ファースト・アルバムからのシングルカット)の発売日に、沢田も初のソロ・シングル『君をのせて』(23位、作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、演奏はケニー・ウッド・オーケストラ)を発売。さらに12月にはセカンド・アルバム『JULIE II IN LONDON』(13位)を発売します。
1972年萩原主演のテレビドラマ『太陽にほえろ!』がヒットし、萩原の俳優としての評価が徐々に高まると、萩原が参加できるときは『PYG』として、参加できないときには『沢田研二と井上堯之バンド』(または井上堯之グループ)として活動するようになっていきます。また、のちに井上堯之バンドの代表曲と言えるほど有名になった『太陽にほえろ!メインテーマ』や同ドラマのサウンドトラックも、レコーディング時は「PYG」としてレコーディングされ、マスターテープのラベルやトラックシートには「PYG」と明記されています。
沢田研二のセカンド・シングル『許されない愛』(4位、1972年、作詞:山上路夫、作曲:加瀬邦彦)がヒットし、第14回日本レコード大賞歌唱賞、第5回日本有線大賞優秀賞を受賞すると、PYGの存在感も希薄になっていきます。結局、1972年発売のラスト・シングル『初めての涙』(作詞:大橋一枝、作曲:大野克夫)を最後にPYGは自然消滅の形で終焉を迎えました。
ヒットは少ないですが、”スーパーバンド”ですね。萩原健一は亡くなりましたから、再結成は無理ですね。日本に、この時代にこんなバンドがいたとは‼️‼️‼️

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