サイケデリック・フォークの代表格

1960年代初め、キャス・エリオットが所属していたフォークバンド「ビッグ・スリー」と、デニー・ドハーティが所属していたバンド「ハリファックス・スリー」のメンバーが合流し、「マグワンプス」が結成されました。このバンドはアルバム発表も出来ないまま解散し(一部のメンバーはラヴィン・スプーンフルを結成)、エリオットはカリフォルニア州でジャズ・シンガーとしての活動を始め、ドハーティはジョンとミッシェルのフィリップス夫妻が所属するフォークバンド「ニュージャーニーメン」に参加しました。このニュージャーニーメンはやがてフォークロックへと姿勢を変換し、カリフォルニアに活動の場を動かしました。そこで再びエリオットと合流し、1965年に『ママス&パパス』は結成されます。

1965年、『青空を探せ』でデビュー。同年フィリップス夫妻によって書かれた「夢のカリフォルニア」を発表。同曲は全米4位、全英9位の大ヒットとなりました。3枚目のシングル「マンデー・マンデー」は全米1位、全英3位にまで昇り、ファースト・アルバム『夢のカリフォルニア』(全米1位、全英3位)もロング・ヒット。

だが、絶頂の最中に、ミシェル・フィリップスとデニー・ドハーティの不倫が発覚し、1966年、ミシェルは夫のジョンに追い出される形でグループを脱退します。しかし、適当な代役が見つからなかったため、ミシェルは結局すぐに復帰して、ジョンと寄りを戻しました。その後は、1966年発売のシングル「アイ・ソー・ハー・アゲイン」が全米5位、全英11位。この曲を収録したセカンド・アルバム『The Mamas & The Papas』も全米4位、全英24位まで昇りました。

1967年発売のサード・アルバム『Deliver』が全米2位、全英4位を記録。このアルバムからは「愛する君に」が全米全英共に2位と大ヒット、「クリーク・アリー」も全米最高5位の記録を収めました。同年から3日間開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。ジョンはフェスティバルのテーマソング的役割を果たす「花のサンフランシスコ」を書き上げ、「ジャーニーメン」時代の同僚のスコット・マッケンジーが歌ったシングルは全米4位を記録しました。

同年、「朝日をもとめて」「悲しみを幸せに」などがヒット。しかしジョンとミシェルの夫婦仲は再び亀裂が生じ始めていました。そして1968年になると、グループは完全に崩壊し、各メンバーはそれぞれ個人的な活動を始めた。契約上制作しなければならなかった最後のアルバム『People Like Us』は、メンバーが各自で収録した曲をまとめて発売されました。

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