『グラム・ロック』は、70年代にイギリスを中心かな発展した、ロックのジャンルです。70年代後半は廃れ、ブームはさりました。しかし、90年代に再び華を咲かせたバンドがいます。『スウェード』です。
1989年にイギリスの田舎町ヘイワーズ・ヒースからロンドンの大学に進学してきたブレット・アンダーソンとマット・オズマンは、当時ブレットのガールフレンドだったジャスティーン・フリッシュマンとともに、バンドを結成します。バンド名はジャスティーンの提案により「スウェード」と命名されました。その後NMEに出したギタリスト募集の広告をきっかけに、バーナード・バトラーが加入。ドラムは当初ドラムマシーンで代用したり、元ザ・スミスのマイク・ジョイスや後にエラスティカのメンバーとなるジャスティン・ウェルチが一時参加するなど、なかなか定着しなかったが、1990年にようやくサイモン・ギルバートが加入。1991年にジャスティーンがバンドを脱退するも、その頃からライヴ活動で徐々にプレスから注目を浴び始めたスウェードは、1992年に無名のインディーレーベルだったヌード・レコーズと契約を結びます。
1992年、デビューシングル「ザ・ドラウナーズ」のリリースを控えたバンドを、音楽誌メロディー・メイカーが「イギリス最高のニュー・バンド」と賞賛したことから、一躍注目を浴びます。同年発表の2ndシングル「メタル・ミッキー」は全英トップ20入り、1993年発表の「アニマル・ナイトレイト」(アミル・ナイトレイトをもじったタイトル)は全英トップテン入りしたことから、インディーバンドとしては当時異例ながら、全英にテレビ中継されるブリット・アワーズに出演が決定。バンドは「アニマル・ナイトレイト」を演奏したが、ブレットはマイクのコードで自らのお尻を繰り返し叩くなど、刺激的なパフォーマンスを披露。それまでスウェードを知らなかった人々にも衝撃を与えました。
1993年3月、1stアルバム『スウェード』をリリース。発売一週目で10万枚を売り上げ、全英1位を獲得。当時のイギリスでのデビュー作最速売り上げを記録し、その年のマーキュリー・プライズのベスト・アルバム・オブ・ザ・イヤーにも選出されました。ブレットの中性的な歌声とバーナードの唸るようなギターのコンビネーションは、ザ・スミスのモリッシーとジョニー・マーの関係にも例えられた。また同性愛・近親姦・獣姦などを扱った刺激的な歌詞や、「大衆を墜落させたい」「僕は男性経験のないバイセクシャルだ」といったブレットの発言、この発言を受けてサイモンが「僕は異性経験のないバイセクシャルだ」と、自らが本物のゲイであることをカミングアウトするなど、スウェード現象はマスコミの報道を通じてますます大きくなっていきました。
しかしバーナードは音楽以外の面でも話題になるバンドに対して、とりわけブレットに対して嫌気が差しつつありました。しかしそんな中にあってもセカンドアルバムのレコーディングは進められ、8分にも及ぶ大作シングル「ステイ・トゥゲザー」は、全英3位と最大のヒットになりました。しかしセカンドアルバム完成直前に、メンバー間の不和は頂点に達し、1994年にバーナードがバンドを脱退することが発表されます。
残されたメンバーは活動続行を決意し、バンドは音楽雑誌に匿名で「名の知られたバンドがギタリストを探しています。コクトー・ツインズ、スウェード、ビートルズの影響を受けています」というメンバー募集広告を打ち、600通の応募の中から当時17歳のリチャード・オークスを加えて活動を再開。
1994年10月に発表された2ndアルバム『ドッグ・マン・スター』は、オーケストラの大々的な導入や退廃的な雰囲気を強めた内容が高く評価されたものの、当時はバーナード脱退騒動の影響もあって全英3位までしか上らず、チャートからはすぐに姿を消しました。またその直後、オアシスやブラーなどによるブリットポップ・ムーブメントが勃発し、プレスの関心はそういった新人バンド群に集中したことから、スウェードはこの時期「終わったバンド」として見られるようになります。
1996年、キーボードにサイモンの従兄弟であるニール・コドリングが加入。この5人編成でレコーディングされた3rdアルバム『カミング・アップ』は、これまでよりも「明るくポップになった」とも評され、先行シングル「トラッシュ」の大ヒットもあって全英1位を獲得。デビューアルバムの倍近いセールスを挙げ、スウェード最大のヒット作となった。またアルバムからは「ビューティフル・ワンズ」や「サタデイ・ナイト」など計5曲がシングルカットされ、その全てがトップテン入りしました。
1997年にシングルのB面曲を集めた『サイ・ファイ・ララバイズ』を発表(全英9位)。この時ロンドンのみでB面曲のみのスペシャル・ライブもファンクラブで披露されました。
1999年、4thアルバム『ヘッド・ミュージック』を発表。ダンス・ミュージックの要素を取り入れるなどの新たな試みが見られたが、前作の爆発的なヒットには及ばず、アルバムの内容も賛否両論となった。『ヘッド・ミュージック』収録時の問題は、以前からのブレットの薬物中毒が悪化したことにあり、後にこの頃の薬物漬けの日々を後悔しているとメンバーはコメントしています。
2000年には5枚目のアルバムのレコーディングセッションがスタートしたが、2001年にはキーボードのニールが慢性疲労症候群という難病によりバンドを脱退することが発表され、後任に元ストレンジラヴのアレックス・リーが加入。またプロデューサーのトニー・ホッファーとのレコーディングも全てボツにして、新たにスティーヴン・ストリートを起用してレコーディングを再開。このようにアルバム制作が長引くにつれて費用がかさんだことも一因となってか、彼らがデビューから所属していたヌード・レコーズが倒産してしまいます。
結局バンドは新たにソニーと契約を結び、2002年に5thアルバム『ニュー・モーニング』を発表。アルバムはそれまでの耽美的な雰囲気は消えて、アコースティック主体で歌詞も前向きなものが増えた。この方向転換は従来のファンから猛烈な反発を受け、全英24位とセールス面でも大きく失敗しました。
2003年、ベストアルバム『シングルズ』を発表。これに合わせて、同年9月にこれまで発表した5枚のアルバムをまるごと1枚演奏していく、というユニークな企画での5夜連続のコンサートを行いました。『スウェード』と『ドッグ・マン・スター』の日が特に人気で、チケットには数十万円のプラチナ価格も付いたと言われています。
同年、バンドの公式サイトを通じて「当分の間、スウェードの名の下においていかなるプロジェクトも行われることはないだろう」と、活動停止を発表。同年、スウェード最後のライブでブレットは、1stアルバム収録曲をもじって「来世で会おう(See you in the next life)」と言い残して、スウェードの歴史はいったんここで幕を下ろしました。
スウェード活動休止すぐに、ボーカルのブレット・アンダーソンは、断絶状態といわれていたバーナード・バトラーとの復縁が伝えられ、2004年に『ザ・ティアーズ』を結成。2005年に1stアルバム『ヒア・カム・ザ・ティアーズ』を発表。その年の8月にはサマーソニックへの出演を果たしたが、アルバムの商業的不振により同年秋にはレーベルから解雇され、予定されていたツアーは全て中止。そしてブレットの自身のソロ活動を追求したいという意向により、ティアーズはスウェードと同じく活動休止となっていきます。
2007年、ブレットが初のソロアルバム『ブレット・アンダーソン』を発表(全英54位)。2008年には自主レーベルから『ウィルダネス』(全英161位)、2009年には『スロー・アタック』(全英174位)と、一年に一枚のハイペースでソロアルバムを発表したが商業的成功には恵まれませんでした。
ブレットは2007年のインタビューで「バンドの再結成ってのは、かなり哀れだと俺は思うよ。ちょっと絶望的っていうかさ。でも、この台詞に俺自身がしっぺ返しをくらう可能性もあるかもね」と、スウェードやザ・ティアーズの再結成を完全には否定しない発言をする一方で、今後しばらくはソロ活動を続けていく意思も表明していました。
しかし2010年には、チャリティ・コンサートのために『カミング・アップ』期のメンバーで一夜限りの再結成ライヴを行うことを発表。ちなみに、この再結成ライヴにはバーナードは誘われなかったため参加しませんでした。それにもかかわらず、ライヴは成功し大好評となったことから、「一夜限り」というのはなかったことにされ、ヨーロッパの各フェスティバルや2万人収容のO2アリーナでライヴを行った。ブレットによると、2011年以降も活動は継続されるであろうとのことでした。
2013年、約10年半ぶりにアルバム、『ブラッドスポーツ』(10位)を発表しました。
その後も、2016年に『Night Thoughts』(6位)、2018年『The Blue Hour』(5位)とヒット作を排出し、現在も現役で活動中です。

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