1960年代、『ザ・ビートルズ』のヒットにより世界に発進されたいわゆる『第一次ブリティッシュ・インベイション』。その中に、後に語られ、今尚も活躍するバンドがあらわれます。そのバンドこそ、『ザ・ローリング・ストーンズ』です。
1950年初め、キース・リチャーズとミック・ジャガーは幼馴染であり、双方の一家が引っ越すまでダートフォードのウェントワース・プライマリースクール級友でした。1960年、ジトカップ・アットカレッジの学生であったキースとロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生であったミックがダートフォード駅で再開します。
ミックの持っていたチャック・ベリーとマディ・ウォーターズのレコードで、お互いの興味明らかになって友情が復活した2人は、ディック・テイラーを加えてのバンド『リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ』を結成。3人はイーリング・ジャズクラブでアレックス・コーナーの『ブルース・インコーポレッド』のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターの演奏を目の当たりにして衝撃を受けます。後にメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツも参加していました。シカゴブルースを演奏するようになったバンドは、ブライアン、イアンを加え、バンド名をマディ・ウォーターズの楽曲から『ザ・ローリング・ストーンズ』に決まります。
1962年、ビル・ワイマンが加入。チャーリー・ワッツは1963年に加入。ディック・テイラーが自らのバンド『ザ・プリティー・シングス』結成のために脱退。これにより、バンドのリズム体が完成します。チャック・ベリーのヒット曲、デビューシングル「カム・オン」をリリース。全英21位のヒットとなります。
この年の後半は、ボー・ディドリー、リトル・リチャード、エヴァリー・ブラザーズのサポートを受け、UKツアーを開始。この時期に2枚目となる「アイ・ワナ・ビー・ユア・マン」リリース。全英12位のスマッシュヒットとなります。これは、レノン=マッカートニーの共作の提供でした。3枚目となるシングル「ノット・フェイド・アウェイ」は1964年にリリースされ全英3位と大ヒットとなります。同年に、デビューアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』をリリース。全英12週連続1位を獲得します。ここから、シングルカットされた「テル・ミー」は全米24位のヒットとなり、全米進出の足掛かりを作りました。また、ボビー・マックウェルのカバー曲「イッツ・オール・オーヴァ・ナウ」が全英1位を獲得。
1964年に、『エド・サリヴァン・ショー』に出演。その際に起こした騒動が原因で、サリヴァンは彼らを出演禁止にします。アメリカでのツアー中に『12×5』リリース。全米3位の大ヒットを記録します。イギリスでは、5枚目となるシングルとなる、ウィリー・ディクスンのカバー曲「リトル・レッド・ルースター」がバンド2枚目の1位を獲得します。同年に、「ハート・オブ・ストーン」リリース。全米19位のスマッシュヒットとなります。
セカンドアルバム『ザ・ローリング・ストーンズNo.2』リリース。全英1位を獲得。アメリカ盤は『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ』をリリース。全米5位を記録し、名実ともにスター街道を進みます。ジャガー/リチャーズによる共作曲「ラスト・タイム」が全英1位,全米9位のヒットとなり、この頃から,『ザ・ビートルズ』『ザ・フー『ザ・キンクス』と共に、『イギリスの4大ロックバンド』と呼ばれるようになります。
1965年には,全米1位となるシングル「サティスファクション」リリリース。英米1位を獲得。世界的なバンドへと成長ををします。その後「ラスト・タイム」(全英1位、全米9位)がヒット。米盤『アウト・オブ・アワー・ヘッド』も全米1位を獲得。また、「一人ぼっちのあいつ」が2作目の全米1位を獲得。続いてアルバム『ディセンバーズ・チルドレン』(全米4位)リリース。
1966年、アルバム『アフターマス』をリリース。全英1位、全米2位を記録。米盤からは、シングル「黒くぬれ」で、シタールの演奏が話題を呼び、英米1位を獲得。バラードの「レディ・ジェーン」では、ダルシマーを使用し全米24位に。まあ、「アンダー・マイ・サム」や12分にも及ぶ対策「ゴーイン・ホーム」が話題を呼びます。
バンドのイギリス・アメリカでのヒットは1966年にピークを迎えます。「19回目の神経衰弱」(英米2位)、「マザー・リトル・ヘルパー」(全米8位)「マザー・イン・ザ・シャドウ」(全英5位、全米9位)をそれぞれ記録しました。
1967年、『ビトイーン・ザ・バトンズ』(全英3位、全米2位)をリリース。米盤では、「夜をぶっとばせ」「ルビー・チューズデイ」が全英3位、全米1位を記録。同年「この世界に愛を」(全英8位、全米50位)をリリース。同年末『サタニッック・マジェスティーズ』(全英3位、全米2位)をリリース。
1968年、数ヶ月間、次のアルバムの作成に入ります。そのセッションで生まれたシングル「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(全英1位、全米3位)の大ヒット。この曲とアルバム『べガーズ・バンケット』(全英3位、全米5位)は、カントリー・ソングやブルースといったバンドの原点回帰を目指した作品となります。本作には、「ストリート・ファインディング・マン」(全米48位)、「悪魔を憐れむ歌」が収録されました。
『ヘガーズ・バンケット』リリース後、ブライアンが度々問題を起こします。それにより、バンドへの貢献度は散発的なものとなります。その後、ドラッグに手を出して中度化します。そして、自宅のプールで溺死しているのが発見されます。
1969年、『レット・イット・ブリード』(全英1位、全米3位)をリリース。その他、「無情の世界」「カントリー・ホンク」「ギミー・シェルター」を収録。また、同時期に「ホンキー・タンク・ウィメン」が英米1位を記録。
1970年、『デッカ・レーベル』との契約が終了。バンドは、自ら『ローリング・ストーンズ・レコード』を設立。ギタリストにミック・テイラーを加入させ、同レーベルから、1971年に第一弾となる『スティッキー・フィンガーズ』(英米1位)を記録し、シングル「ブラウン・シュガー」が全英2位、全米1位を記録。その他、「ワイルド・ホース」が全米28位を記録します。
1972年には、『メインストリートのならず者』(英米1位)が2枚組にもかかわらす大ヒット。シングル「ダイスをころがせ」が、全英5位、全米7位とヒットを記録。
1973年、『山羊の頭のスープ』(英米1位)をリリース。シングル「悲しみのアンジー」が、全英5位、全米1位と世界的に大ヒット。
1974年、『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』(全英2位、全米1位)をリリース。同タイトル曲が、全英10位、全米16位とヒット。
1975年、『ブラック・アンド・ブルー』(全英2位、全米1位)をリリース。ミックの後任に元フェイセズのロン・ウッドを加入させ、シングル「愚か者の涙」が、全英4位、全米10位とヒットを記録。
1978年、『女たち』(全英2位、全米1位)をリリース。シングル「ミス・ユー」が、全英3位、全米1位を記録。他にも「シャッタード」(全米31位)「ビースト・オブ・バーデン」(全米8位)「リスペクダブル」(全英23位)とそれぞれヒット。
1980年に『エモーショナル・レスキュー』(米英1位)、1981年『刺青の男』(全英2位、全米1位)、1983年『アンダーカヴァー』(全英3位、全米4位)、1986年『ダーティー・ワークス』(英米4位)、1989年『スティール・ホイールズ(全英2位、全米3位)とそれぞれヒットします。
1994年、5年ぶりとなるアルバム『ヴードゥ・ラウンジ』(全英1位、全米2位)をリリース。しかし、ライブの最中ビルがバンドを脱退してしまいます。
1997年、『ブリッジズ・トゥ・バビロン』(全英6位、全米3位)をリリース。アメリカだけで120万枚を売り上げる大ヒットを記録。その後、各自ソロ活動を開始します。
2005年、8年ぶりのアルバム『ア・ビガー・バン』(全英2位、全米3位)をリリース。シングル「ストリーツ・オブ・ラブ」(全英15位)がヒットします。その後、ライブ活動を各地で開催します。
2016年、実に11年ぶりとなるカバー・アルバム『ブルー&ロンサム』(全英1位、全米4位』をリリース。
2021年、オリジナル・メンバーのチャーリーが死去。享年80歳。バンドは、今尚も活動しています。
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