不明 のアバター

crc1825 について

音楽、エンタメの投稿をします。 興味のある方は,是非ともご覧下さい^_^

ロンドン5大パンク・バンド

引用

今回は、イギリス・ロンドンでブレイクした5大バンドを特集します。

セックス・ピストルズ(Sex Pistols)

1975年に、シド・ヴィシャス、ジョニー・ロットンを中心に結成。1977年に、『勝手にしゃがれ』(全英1位)が大ヒット。シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」(全英33位)、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」(全英2位)、「プリティ・ヴィカント」(全英6位)がヒット。後のパンクバンドに多大なる影響を与えました。

ザ・クラッシュ(The Clash)

1976年に、ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズを中心に結成。

1979年の「London Calling』(全英9位、全米27位)がヒット。同タイトル曲(全英11位、全米30位)、「Train in Vain」(全米30位)がヒット。ピストルズと共にパンクバンドの第一線で活躍しました。

ストラングラーズ(The Stranglers)

1974年に、ジャン=ジャック・パーネルとヒュー・コーンウェルを中心に結成。アルバム『La Folie』(全英11位)から、シングル「Golden Brown」(全英2位)がヒットしました。

ザ・ジャム(The Jam)

1972年に、ポール・ウェラーを中心に結成。4作目『Setting Sons』(全英4位、全米137位)から、シングル「The Eton Rifles」(全英3位)がヒット。解散後も、ポール・ヴェラーは、ソロでブレイクしました。

ダムド(The Damned)

1976年、キャプテン・センシブルとラット・スケイピースを中心に結成。デビュー・アルバム『Damned Damned Damned』(全英34位)からシングル「New Rose」(81位)がヒット。メンバー・チェンジを繰り返しながら、現在も活動中。

今回は、ここまで。次回の投稿もご期待下さい。



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エレクトリカの世界

引用

今回は、年代別の4バンド(ユニット)を紹介しましょう。

ニュー・オーダー(New Order)

イギリス・マンチェスターのバンドで、ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)が前身。1983年に「Blue Monday」(全英9位)のヒットを記録。現在でも、現役で活動しています。

アンダーワールド(Underworld)

イギリス・ロンドンのユニットで、1996年の「Born Slippy . NUXX」が全英2位の大ヒットを記録。映画『Transitt by ing』のサウンドトラックに起用。それ以降も数々のヒット曲を出しています。

ケミカル・ブラザーズ(The Chemical Brothers)

イギリス・マンチェスターのユニット。

1997年の「Block Rock’n’ Beats」(全英1位)を記録する大ヒットを記録し、グラミー賞を受賞。その他、沢山のミュージシャンとコラボも行っています。

ペット・ショップ・ボーイズ(Pet Shop Boys)

イギリス・ロンドンのポップ・デュオ。1985年に、「West End Girls」が英米1位を記録。その他幾多のヒットを量産。第一線で活躍中。

以上、エレクトリカ系グループ特集でした。



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パンクを日本にも根付かせた

引用

1960年代、アメリカデトロイトで確立された『パンク・ロック』。それは、イギリスをはじめ世界中に広まりした。日本にも、その精神は受け継がれました。その代表的バンドが『THE BLUE HEARTS』です。

1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかった甲本ヒロトと真島昌利、河口純之助の3人は下北沢のバイト先で出会い、『Traditional』というセッションバンドを行なったり、バンドの事について語ったりして飲んで遊んだりしているうちに意気投合します。

1984年、『ロードサイド・ロッカーズ』というイベントで、ボーカル・甲本ヒロト、ギター・真島昌利&河口純之助、ベース・コハマ、ドラムス・不明の5人で原宿ホコ天でライブをします。

1985年、それぞれのバンドを解散したり脱退したりしていた甲本と真島らは、本気でバンド結成を考えるようになり、2人を中心とした『THE BLUE HEARTS』を結成。同年、初ライブを行う事となりました。同年の夏に、彼らのマネージャーとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌86年、梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラムスとして参加。結成当初は、渋谷のライブハウス・渋谷屋根裏を拠点として多くの活動をしていました。梶原の加入時から、世間で『面白いバンドがいる』と話題となります。

1987年、「人にやさしく」(26位)で、シングルデビュー(インディーズ・デビューシングルは、「1985」(ソノシート盤))。同年、メダリックよりメジャーデビューシングル「リンダリンダ」(38位)リリース。当時にデビューアルバム『THE BLUE HEARTS』(31位)をリリース。

口コミなどで若者に彼らの評判は広がり、全国に知られるようになり、第二次バンドブームの先駆けとなりした。1987年に、2作目『YOUNG AND PRETTY』(10位)をリリースし、好調でした。シングル「キスしてほしい」(48位)がヒット。

1988年、3作目『TRAIN-TRAIN』(3位)は、50万枚を売り上げる大ヒットとなります。同タイトル曲(5位)、「ラブレター」(23位)、「青空」(8位)とヒットを連発。この頃から、『THE BOOM』、『JUN SKY WALKER(S)』と”バンド御三家”と呼ばれるようになり大ブレイクします。

1990年の4作目『BUST WASTE HIP』(1位)からは、シングル「情熱の薔薇」(1位)、「首つり台から」(13位)がヒット。

1991年、5作目『HIGH KICKS』(3位)からは、シングル「あの娘にタッチ」(24位)、「TOO MUCH PAIN」(29位)がヒット。

1993年には、6作目『STICK OUT』(1位)からは、シングル「夢」(14位)、「旅人」(50位)、「1000のバイオリン」(47位)がヒット。同年、7作目『DUG OUT』(2位)からは、シングル「パーティー」(80位)、「夕暮れ」(71位)がヒット。

そして、1995年にラストアルバム『PAN』(2位)を最後にバンドは解散しました。

甲本と真島は、新たに『↑THE HIGH-LOWS↓』や『ザ・クロマニヨンズ』で活動。

『THE BLUE HEARTS』の楽曲は、後にCMソングやドラマの主題歌などで大ヒットし、現在も人気は途絶えていません。



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ブルースを基調としたロックンロール

引用

1960年代、『ザ・ビートルズ』のヒットにより世界に発進されたいわゆる『第一次ブリティッシュ・インベイション』。その中に、後に語られ、今尚も活躍するバンドがあらわれます。そのバンドこそ、『ザ・ローリング・ストーンズ』です。

1950年初め、キース・リチャーズとミック・ジャガーは幼馴染であり、双方の一家が引っ越すまでダートフォードのウェントワース・プライマリースクール級友でした。1960年、ジトカップ・アットカレッジの学生であったキースとロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生であったミックがダートフォード駅で再開します。

ミックの持っていたチャック・ベリーとマディ・ウォーターズのレコードで、お互いの興味明らかになって友情が復活した2人は、ディック・テイラーを加えてのバンド『リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ』を結成。3人はイーリング・ジャズクラブでアレックス・コーナーの『ブルース・インコーポレッド』のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターの演奏を目の当たりにして衝撃を受けます。後にメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツも参加していました。シカゴブルースを演奏するようになったバンドは、ブライアン、イアンを加え、バンド名をマディ・ウォーターズの楽曲から『ザ・ローリング・ストーンズ』に決まります。

1962年、ビル・ワイマンが加入。チャーリー・ワッツは1963年に加入。ディック・テイラーが自らのバンド『ザ・プリティー・シングス』結成のために脱退。これにより、バンドのリズム体が完成します。チャック・ベリーのヒット曲、デビューシングル「カム・オン」をリリース。全英21位のヒットとなります。

この年の後半は、ボー・ディドリー、リトル・リチャード、エヴァリー・ブラザーズのサポートを受け、UKツアーを開始。この時期に2枚目となる「アイ・ワナ・ビー・ユア・マン」リリース。全英12位のスマッシュヒットとなります。これは、レノン=マッカートニーの共作の提供でした。3枚目となるシングル「ノット・フェイド・アウェイ」は1964年にリリースされ全英3位と大ヒットとなります。同年に、デビューアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』をリリース。全英12週連続1位を獲得します。ここから、シングルカットされた「テル・ミー」は全米24位のヒットとなり、全米進出の足掛かりを作りました。また、ボビー・マックウェルのカバー曲「イッツ・オール・オーヴァ・ナウ」が全英1位を獲得。

1964年に、『エド・サリヴァン・ショー』に出演。その際に起こした騒動が原因で、サリヴァンは彼らを出演禁止にします。アメリカでのツアー中に『12×5』リリース。全米3位の大ヒットを記録します。イギリスでは、5枚目となるシングルとなる、ウィリー・ディクスンのカバー曲「リトル・レッド・ルースター」がバンド2枚目の1位を獲得します。同年に、「ハート・オブ・ストーン」リリース。全米19位のスマッシュヒットとなります。

セカンドアルバム『ザ・ローリング・ストーンズNo.2』リリース。全英1位を獲得。アメリカ盤は『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ』をリリース。全米5位を記録し、名実ともにスター街道を進みます。ジャガー/リチャーズによる共作曲「ラスト・タイム」が全英1位,全米9位のヒットとなり、この頃から,『ザ・ビートルズ』『ザ・フー『ザ・キンクス』と共に、『イギリスの4大ロックバンド』と呼ばれるようになります。

1965年には,全米1位となるシングル「サティスファクション」リリリース。英米1位を獲得。世界的なバンドへと成長ををします。その後「ラスト・タイム」(全英1位、全米9位)がヒット。米盤『アウト・オブ・アワー・ヘッド』も全米1位を獲得。また、「一人ぼっちのあいつ」が2作目の全米1位を獲得。続いてアルバム『ディセンバーズ・チルドレン』(全米4位)リリース。

1966年、アルバム『アフターマス』をリリース。全英1位、全米2位を記録。米盤からは、シングル「黒くぬれ」で、シタールの演奏が話題を呼び、英米1位を獲得。バラードの「レディ・ジェーン」では、ダルシマーを使用し全米24位に。まあ、「アンダー・マイ・サム」や12分にも及ぶ対策「ゴーイン・ホーム」が話題を呼びます。

バンドのイギリス・アメリカでのヒットは1966年にピークを迎えます。「19回目の神経衰弱」(英米2位)、「マザー・リトル・ヘルパー」(全米8位)「マザー・イン・ザ・シャドウ」(全英5位、全米9位)をそれぞれ記録しました。

1967年、『ビトイーン・ザ・バトンズ』(全英3位、全米2位)をリリース。米盤では、「夜をぶっとばせ」「ルビー・チューズデイ」が全英3位、全米1位を記録。同年「この世界に愛を」(全英8位、全米50位)をリリース。同年末『サタニッック・マジェスティーズ』(全英3位、全米2位)をリリース。

1968年、数ヶ月間、次のアルバムの作成に入ります。そのセッションで生まれたシングル「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(全英1位、全米3位)の大ヒット。この曲とアルバム『べガーズ・バンケット』(全英3位、全米5位)は、カントリー・ソングやブルースといったバンドの原点回帰を目指した作品となります。本作には、「ストリート・ファインディング・マン」(全米48位)、「悪魔を憐れむ歌」が収録されました。

『ヘガーズ・バンケット』リリース後、ブライアンが度々問題を起こします。それにより、バンドへの貢献度は散発的なものとなります。その後、ドラッグに手を出して中度化します。そして、自宅のプールで溺死しているのが発見されます。

1969年、『レット・イット・ブリード』(全英1位、全米3位)をリリース。その他、「無情の世界」「カントリー・ホンク」「ギミー・シェルター」を収録。また、同時期に「ホンキー・タンク・ウィメン」が英米1位を記録。

1970年、『デッカ・レーベル』との契約が終了。バンドは、自ら『ローリング・ストーンズ・レコード』を設立。ギタリストにミック・テイラーを加入させ、同レーベルから、1971年に第一弾となる『スティッキー・フィンガーズ』(英米1位)を記録し、シングル「ブラウン・シュガー」が全英2位、全米1位を記録。その他、「ワイルド・ホース」が全米28位を記録します。

1972年には、『メインストリートのならず者』(英米1位)が2枚組にもかかわらす大ヒット。シングル「ダイスをころがせ」が、全英5位、全米7位とヒットを記録。

1973年、『山羊の頭のスープ』(英米1位)をリリース。シングル「悲しみのアンジー」が、全英5位、全米1位と世界的に大ヒット。

1974年、『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』(全英2位、全米1位)をリリース。同タイトル曲が、全英10位、全米16位とヒット。

1975年、『ブラック・アンド・ブルー』(全英2位、全米1位)をリリース。ミックの後任に元フェイセズのロン・ウッドを加入させ、シングル「愚か者の涙」が、全英4位、全米10位とヒットを記録。

1978年、『女たち』(全英2位、全米1位)をリリース。シングル「ミス・ユー」が、全英3位、全米1位を記録。他にも「シャッタード」(全米31位)「ビースト・オブ・バーデン」(全米8位)「リスペクダブル」(全英23位)とそれぞれヒット。

1980年に『エモーショナル・レスキュー』(米英1位)、1981年『刺青の男』(全英2位、全米1位)、1983年『アンダーカヴァー』(全英3位、全米4位)、1986年『ダーティー・ワークス』(英米4位)、1989年『スティール・ホイールズ(全英2位、全米3位)とそれぞれヒットします。

1994年、5年ぶりとなるアルバム『ヴードゥ・ラウンジ』(全英1位、全米2位)をリリース。しかし、ライブの最中ビルがバンドを脱退してしまいます。

1997年、『ブリッジズ・トゥ・バビロン』(全英6位、全米3位)をリリース。アメリカだけで120万枚を売り上げる大ヒットを記録。その後、各自ソロ活動を開始します。

2005年、8年ぶりのアルバム『ア・ビガー・バン』(全英2位、全米3位)をリリース。シングル「ストリーツ・オブ・ラブ」(全英15位)がヒットします。その後、ライブ活動を各地で開催します。

2016年、実に11年ぶりとなるカバー・アルバム『ブルー&ロンサム』(全英1位、全米4位』をリリース。

2021年、オリジナル・メンバーのチャーリーが死去。享年80歳。バンドは、今尚も活動しています。



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