オーストラリアのビートルズ‼️

引用

1960年代といえば、やはり『ザ・ビートルズ』が代表的でしたが、アメリカでも『ザ・モンキース』、カナダの『リトル・シーザー・アンド・ザ・コンスルズ』など影響を受けたバンドがいました。

オーストラリアにもそのようなバンドがいました。

バンドの名は、『ザ・イージービーツ』。

1964年に、リーダーのジョージ・ヤングを中心に結成。

1965年に、2ndシングル『シーズ・ソー・ファイン』が大ヒット(オーストラリアシングルチャート3位)。

『オーストラリアのビートルズ』と呼ばれるほどの人気となります。

同年、『ウェディング・リング』が6位まで上昇。

アルバムとしても『イージー』が、アルバムチャートで4位を記録。

翌年には,『イッツ・2・イージー』が3位にランクイン。

着実に人気を国内に広めていきます。

1966年にシングル『ソーリー』で初の1位を獲得。

同年には、『フライデイ・オン・マイ・マインド』で全豪1位、全英6位、全米16位を記録し、世界的なバンドへと成長します。

67年には、シングル『ヘブン&ヘル』が8位を記録しますが、その後人気は低迷してしまいます。

1970年解散後、ジョージ・ヤングは数年後弟のアンガスとマルコムと、ハードロックバンド『AC/DC』を結成。

自らは、プロデューサーとしてバンドを支え、1980年の世界一売れたハードロックアルバム『バック・イン・ブラック』(全英1位、全豪1位、全米9位)に貢献しました。

AC/DCは今なおも、高い人気を誇っています。

それもこれも、イージービーツの存在ありきです。



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フォークミュージックとニューミージック禍に生まれたシンガー

引用

1970年代は、日本では反戦運動や安保理反対運動などがあり、学生と警察の衝突は頻繁でした。

若者たちは、それをフォークミュージックに託しており、かぐや姫、岡林信康、グレープ、風などがヒット曲が生みました。

そんな中、70年代後半に、ニューミージックをプラスしたアーティストが現れます。

彼の名は、松山千春。

北海道足寄町出身の彼は、上京後デビューシングル『旅立ち』を発表。

当初は、小ヒットに終わります。

その後も、『銀の雨』『風ぐるま』『良生ちゃんとポプラ並木』などを発表します。

そんな中、彼の転機となったのが1978年の『季節の中で』が、チョコレートのCMソングに起用された大ヒット(オリコン1位)。

その後は,『窓』(5位)、『夜明け』(5位)、『恋』(6位)とヒットを連発。

過去の作品も、リバイバルヒットしました。

1980年3月3日、清須邦義加川良と共にNEWSレコードを設立。

その後、ヒット曲に恵まれない時期が長くありましたが、1996年ドラマ『みにくいアヒルの子』主題歌『君を忘れない』が、オリコンで14位まで上昇。

音楽番組で、はに着せぬコメントで再び注目を集めました。

特に有名なのが、ベストアルバム『起承転結』シリーズはからを象徴するものとなっています。

現在も、各地でコンサートを行い、コミカルかつユニークなトークで、ファンの心を掴んでいます。



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全盛期は凄かった‼️‼️‼️

引用

1990年代から、ジワリジワリと日本の音楽業界は、派手さのある音楽が収束していきました。

代わりに、『米米CLUE』、『ZARD』、『B’z』などが台頭。

少しづつではありますが、シンプルかつポップな曲が流行り始めます。

そんな中、1992年にデビューしたバンドがいました。

それが、ミスチルこと『Mr.Children』です。

ボーカルの桜井和寿の甘いマスクと歌声に、キャッチーなフレイズの曲調で、デビュー当時からファンがいました。

同年、ミニアルバム『EVERYTHING』でデビューすると、シングル『CROSS RORD』がロングヒット、オリコンシングルチャート6位となり、ミリオンセラーとなります。

94年には、『innocent world』初のチャート1位を獲得。

日本レコード大賞を受賞。翌95年には『Tomorrow never knows』が前作を超えるビッグヒットとなり、276万枚を売り上げるバンド最大のヒットとなり、1位を獲得。

その後、ベスト盤二枚を発売し、いずれもミリオンセールを記録。

ドラマやCMとのタイアップなどでもヒットを連発。

その傍で、桜井はチャリティーバンド『ap Bank』を結成。

毎年、大物アーティストとコラボを実現させ、今でも第一線で活躍。

日本を代表するバンドです。



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ボーカルうまさが凄すぎる‼️‼️‼️

引用

日本のロックの初めは、1960年代の堺正章、井上純などがが在籍していた『ザ・スパイダース』、1970年代の大瀧詠一、松本隆などが在籍していた「はっぴいえんど』などがありましたが、1980年代はシンセサイザーなどの導入や機材の進化によって多種多様な進化を解けでいました。

中でも、北海道出身の『安全地帯』は特出していました。

元々は、北海道で1973年にボーカルの玉置浩二、ギタリストの武沢豊を中心に、ハードロックバンドとして結成。

その後上京すると、井上陽水のバックバンドとして活動。

その後、1982年に『萌黄色のスナップ』でデビュー。

そして、よく83年『ワインレッドの心』がオリコンシングルチャーとので、1位を獲得し、一躍人気バンドへ。

玉置浩二のベルベットボイスと、メロウなサウンドが好評となり、80年代を代表するバンドに。

その後『恋の予感』(3位)、『熱視線』(2位)、『悲しみにさよなら』(1位)とヒットを連発していきます。

また、井上陽水とのコラボ『夏の終わりのハーモニー』も1位を獲得。

85年のアルバム『安全地帯IV』は、売り上げ92万枚を売り上げるビックヒットとなりました。

1988年活動を休止。

玉置浩二は、ソロとして『田園』(2位)、『キ・ツ・イ』(7位)ヒットを出します。

そして、2010年に再始動。22年ぶりとなるシングル「蒼いバラ』がオリコンシングルチャートで、9位を獲得。存在感は今でも健在。

これからの活躍、さらに楽しみです。



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