パンクロックの全て

引用

つい最近は、クリーンデイやオフスプリングなどのポップなパンクバンドや、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュなどの伝統的なパンクスタイルのバンドもいます。

しかし、それもこれも”MC5”、“ザ・ストゥージーズ”の存在は大きく、特にザ・ストゥージーズは特質したバンドでした。

ボーカルでリーダーのイギー・ポップを筆頭に結成されたこのバンドは、1967年に結成。

『ストゥージーズ』とは、「ボケ役」、「まぬけ」といった意味があります。

1969年に、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデューサーにより、デビューアルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を発表。

全米106位と商業的な成功は収められませんでしたが、MC5と並びプロト・パンク/ガレージ・ロックの代表的なバンドとなります。

フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり、ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がったりするなど、身体を張ったパフォーマンスを展開しました。

1970年には、セカンドアルバム『ファンハウス』を発表。同作で新たに、サックスを導入。ところが今度は、チャードインすらせず、レコード会社との契約も打ち切られてしまいます。

その後、バンドメンバーは、失意の中からドラックにハマり、廃人となりかけました。

そんな中、1971年デヴィッド・ボウイとの出会いが、彼の運命を変えます。

1973年『ロウ・パワー(邦題:淫力魔人)』を発表。チャート的には、全米で182位までしか上がりませんでしたが、これまでにない手応えがありました。

新たに入ったレコード会社との契約も打ち切りとなります。

その後、イギーはヘロイン中毒になります。

しかし、デヴィッドの手助けもあってか何とかヘロイン中毒から脱したイギーは、ソロデビューアルバム1977年に『イディオット』が全米72位まで上がる手応えのあるヒットとなります。

因みに、デヴィッド・ボウイの1984年の『チャイナガール』は、イギーの曲のカバーです。

今でこそ、パンクロックは当たり前でしたが、当時は斬新で、後々グラムロック/ロンドンパンクの火種ともなっています。

イギーは、今でも活躍中。マッチョな体で今でもパンクの神様として崇拝されています。



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アメリカの心

引用

1970代と言えば、イギリスのレッド・ツェベリンや、ディープ・パープル、アメリカのエアロスミス、キッスなどが一世風靡しましたが、”シンガーソングライター”もブレイクしました。

元ビートルズの面々、エリック・クラプトン、バン・モリソンなどがいますが、牽引した1人に、ジョン・デンバーがいます。

彼は、1960年代中盤にチャド・ミッチェル・トリオを結成します。

当時は、普通のフォークソングを歌っていました。

そんな彼に転機が訪れます。

同じくアメリカの、人気フォークトリオ、ピーター・ポール&マーリーの曲として、『悲しみのジェットプレイン』が全米1位を獲得し一躍、ソングライターとして人気に火がつきます。

ソロシンガーとしてのデビューは、1969年のアルバム『Rhymes & Reasons』です。

ここで、彼は『悲しみのジェット・プレイン』をセルフカバーし、ヒットさせています。

1971年、『故郷へ帰りたい(Take Me Home County Roads)』が全米2位の大ヒットを記録。

一躍、シンガーソングライターの一角として頭角を表します。

その後も、『ロッキー・マウンテン・ハイ』(全米8位)、『太陽を背にうけて』(全米1位)、『緑の風のアニー』(全米1位)、『すばらしきカントリーボーイ』(全米1位)とヒットを連発。

しかしながら、この人気も1975年中期になると衰え始めます。

KC&サンシャイン・バンドやオハイオ・プレイヤーズ、ビー・ジーズのファンク/ソウル、ディスコグループがブレイクしたことで、時代遅れ感が出でしまい、人気は急落してしまいます。

しかしながら、音楽互いでも彼の活躍は続きます。

1977年、世界の飢餓に対する組織である『ハンガリー・プロジェクト』を設立。亡くなる間際まで携わります。

1980年代に、あのUSA for Africaのメンバーに名乗りをあげますが却下されています。

飛行にも興味があり、NASAを支援し、チャレンジャー号爆発の追悼なども行っていました。

彼は、複数の飛行機(主に、セスナ機)を多数所有。

1997年、趣味の飛行機を楽しんでいる途中、事故に遭い、呆気なくこの世を去ります。53歳の若さでした。

葬儀は、故郷へコロラド州で執り行われ、”アメリカの心”とまで称されます。

『故郷へ帰りたい』は、オリビア・ニュートン・ジョンにカバーされたり、日本でも宮崎駿作品『耳をすませば』エンディング曲として、声優・本名陽子のカバーで大ヒットして、知名度が高まりました。

今でも、彼の心は沢山のアーティストに引き継がれています。



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グランジの帝王

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アメリカでは、1980年代はハードロック、ヘヴィメタル、ニューウェーブなどが流行っていました。

しかし、ソニックユースの登場でその概念が覆ります。

1987年、ワシントンでカート・コーバン(ギターボーカル)、ベーシストのクリス・ノヴォセリックによって結成され、1990年にデイブ・グロール(ドラムス)加入でデビュー。

インディーズとして、デビューアルバム『ブリーチ』を発表(1989年)。

2年後、メジャーデビューアルバム『ネヴァーマインド』がいきなり全米1位を獲得。

シングル『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』は、全米6位を獲得し、一躍世界的なバンドとなりました。

いわゆる『グランジ』というジャンルの誕生です。

その後、サウンド・ガーデン、パール・ジャムなど、いろいろなグランジ系バンドが登場。

ニルヴァーナのアルバムは、全世界で1.000万枚を超えるモンスターアルバムとなりました。

その後、MTVアンプラグドライブのアルバムも全米1位を獲得。

しかし、その後のアルバムや楽曲の制作にプレッシャーを感じたカートが、自宅で猟銃自殺。

苦しくも、1994年『イン・ユーティロ』(全米1位)を発売した直後でした。

その後、ドラムスのデイブは、新たにフー・ファイターズを結成。

ポスト・グランジ系のバンドとして今でも活躍しています(グラミー賞常連です)。

ニルヴァーナは、今尚も、様々なバンドに影響を与えています。

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産業ロックのパイオニア的存在

イギリスで、1970年代に誕生した『プログレッシブ・ロック』。

ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、エマーソン・レイク&パーマーなどがブレイクする中、アメリカでもこのジャンルが流行り始めます。

カンサス、ボストン、TOTOなどが次々と登場する中、サンタナのギタリストとしてデビューした、ニール・ショーンが独立。

バンド名は、『Journey』。

当初は、いかにもプログレッシブ・ロック感を出し、マニアの間で注目を集めますが、売上的には成功していませんでした。

要因は、ボーカルの質の弱さ。

そこで、ニールはボーカルのオーディションを行います。

そこで、出会ったのが全盛期を支えた、スティーブ・ペリーです。

1978年『インヒィニティ』が全米で21位にジャンプアップ。

売上もミリオンセラーとなります。

その後も79年『エヴォリューション』(全米20位)、1980年『ディパーチャー』(全米8位)と成功を収め、一躍人気バンドへ上り詰めます。

その後、初期のアルバム3枚から選んだ曲を収めたベスト盤を出します。

そしてここからです。スティーブ・ペリーのボーカルを前面に押し出した81年の『エスケープ』が全米で初の1位を獲得。

シングル『Don’t Stop Believing』(全米10位)、『Who’s Crying Now』(全米4位)とヒットを連発します。

そして、最大のヒット曲『Open Arms』が全米2位まで上昇し、ついに名実共にトップバンドになります。

その後は、83年『フロンティアーズ』(全米2位)から、『Separate Ways』(全米8位)』、『Faithfully(全米11位)』がヒットしました。

しかし、メンバー内で方向性の違いが目立ち始めます。

86年『Raised On Radio〜時を駆けて』(全米4位)からは、『Be Good To Yourself』(全米9位)、『Girl Can’t Help It』(全米9位)とヒットしましたが、一時バンド活動を休止します。

スティーブは、ソロとして『Oh.Sherry』(全米3位)がヒットしました。

その後、1996年オリジナルメンバーで、『トライアル・バイ・ファイアー』(全米3位)がヒット。

シングル『When You Love a Woman』(全米12位)がヒット。

しかし、スティーブがバンドを脱退し、スティーブ・オージェリーを迎え、2001年『アライバル』を発表しますが、思ったようなヒットに恵まれませんでした。

その後、再びアルバムを出しますが、ヒットに恵まれず、スティーブはバンドを脱退してしまいます。

危機に陥った、バンドは当時から流行っていたYouTubeで、ボーカリストを探す活動をはじめます。

そこで、発掘したのかフィリピン人ボーカリストである”アーネル・ピネダ”です。

バンドは早速、アーネルを迎えて、2008年『レヴェレイション』を発表。全米で5位と久々の大ヒットとなりました。

またこのアルバムには、過去のヒット曲(ペリー期)をセルフカバーしたことで話題となりました。

その後、そのサクセスストーリーを収めたビデオを発表し、これもヒット。

2011年には、本格的な新軌道としてのアルバム『エクリプス』(全米11位)を発表。

2022年には、『Freedom』と言う新作を発売予定。

産業ロックと揶揄された時代もありましたが、着実に人気を拡大させています。

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