産業ロックのパイオニア的存在

イギリスで、1970年代に誕生した『プログレッシブ・ロック』。

ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、エマーソン・レイク&パーマーなどがブレイクする中、アメリカでもこのジャンルが流行り始めます。

カンサス、ボストン、TOTOなどが次々と登場する中、サンタナのギタリストとしてデビューした、ニール・ショーンが独立。

バンド名は、『Journey』。

当初は、いかにもプログレッシブ・ロック感を出し、マニアの間で注目を集めますが、売上的には成功していませんでした。

要因は、ボーカルの質の弱さ。

そこで、ニールはボーカルのオーディションを行います。

そこで、出会ったのが全盛期を支えた、スティーブ・ペリーです。

1978年『インヒィニティ』が全米で21位にジャンプアップ。

売上もミリオンセラーとなります。

その後も79年『エヴォリューション』(全米20位)、1980年『ディパーチャー』(全米8位)と成功を収め、一躍人気バンドへ上り詰めます。

その後、初期のアルバム3枚から選んだ曲を収めたベスト盤を出します。

そしてここからです。スティーブ・ペリーのボーカルを前面に押し出した81年の『エスケープ』が全米で初の1位を獲得。

シングル『Don’t Stop Believing』(全米10位)、『Who’s Crying Now』(全米4位)とヒットを連発します。

そして、最大のヒット曲『Open Arms』が全米2位まで上昇し、ついに名実共にトップバンドになります。

その後は、83年『フロンティアーズ』(全米2位)から、『Separate Ways』(全米8位)』、『Faithfully(全米11位)』がヒットしました。

しかし、メンバー内で方向性の違いが目立ち始めます。

86年『Raised On Radio〜時を駆けて』(全米4位)からは、『Be Good To Yourself』(全米9位)、『Girl Can’t Help It』(全米9位)とヒットしましたが、一時バンド活動を休止します。

スティーブは、ソロとして『Oh.Sherry』(全米3位)がヒットしました。

その後、1996年オリジナルメンバーで、『トライアル・バイ・ファイアー』(全米3位)がヒット。

シングル『When You Love a Woman』(全米12位)がヒット。

しかし、スティーブがバンドを脱退し、スティーブ・オージェリーを迎え、2001年『アライバル』を発表しますが、思ったようなヒットに恵まれませんでした。

その後、再びアルバムを出しますが、ヒットに恵まれず、スティーブはバンドを脱退してしまいます。

危機に陥った、バンドは当時から流行っていたYouTubeで、ボーカリストを探す活動をはじめます。

そこで、発掘したのかフィリピン人ボーカリストである”アーネル・ピネダ”です。

バンドは早速、アーネルを迎えて、2008年『レヴェレイション』を発表。全米で5位と久々の大ヒットとなりました。

またこのアルバムには、過去のヒット曲(ペリー期)をセルフカバーしたことで話題となりました。

その後、そのサクセスストーリーを収めたビデオを発表し、これもヒット。

2011年には、本格的な新軌道としてのアルバム『エクリプス』(全米11位)を発表。

2022年には、『Freedom』と言う新作を発売予定。

産業ロックと揶揄された時代もありましたが、着実に人気を拡大させています。

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