最後のビートルズ‼️‼️‼️

『ザ・ビートルズ』の前身は、『クオリーメン』ですが、当時のメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンです。後にメンバーとして加入したのは『リンゴ・スター』です。

1940年、リヴァプールのロイヤル・リヴァプール小児病院で誕生。労働者階級の出身。労働者の慣習に倣い父リチャードのファーストネームを命名され、出生名は、リチャード・スターキー。

3歳の時に、両親は離婚し母子家庭という環境で育ち「『父との思い出』と呼べるものは何もない」と述べています。

小学校低学年時に盲腸炎・腹膜炎などで1年以上休学し、勉学面でついていけなくなった。そのため、学校をズル休みする事が多くなってしまった。12歳のとき、母エルシーがペンキ職人ハリー・グレイブスと再婚しました。

病弱だった彼は入退院を繰り返し、学校にほとんど行くことができなかった。この入院中に医者から教えてもらったのがドラムで、やがて院内のバンドに加入。以来、リンゴはドラム以外の楽器に関心を示さなくなっていったという。ドラム・セットを手に入れた後は、もう学校に戻ることはありませんでした。昼は工場で働き、夜はダンス・パーティーなどでドラムを叩くという生活を送り、数々のグループに在籍して腕を磨いていきます。

ビートルズに出会った時には『ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ』というバンドのドラマーを務めていました。当時ビートルズのドラマーだったピート・ベストが解雇され、リンゴがビートルズに加入して新たなドラマーとなり10月5日にレコードデビュー。

若い頃から職を転々としていたリンゴは、プロのドラマーになって初めて金銭を安定的に得られるようになりました。リンゴはビートルズ加入前にビートルズの面々とハンブルク巡業時に顔見知りになったが、ジョージ・ハリスンは「出逢ったころのリンゴは僕らよりも収入が多くて、僕らよりも早く車を買って乗り回していた」と述べています。

芸名の“リンゴ・スター”とは、『ロリー・ストーム&ハリケーンズ』時代にそれぞれが芸名を考えた時につけられたもの。指輪が好きで両手にいくつも付けていたので“Rings(リングズ)”と呼ばれていて自分がリンゴ・キッドに憧れているので「リンゴ」と命名。リンゴは、Ringo Starkeyでいくつもりだったけれど、しっくりこなかったのでStarkeyを半分にしてrをもうひとつ付けたと発言しています。

1965年にモーリン・コックスと最初の結婚、同年に長男ザック誕生。同年、MBE勲章五級を授与されます。

ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明する直前に、スタンダード・ナンバーを集めた初のソロ・アルバム『センチメンタル・ジャーニー』(全英7位、全米22位)を発表。これを機に、リンゴはソロ・ミュージシャンとしての活動を始動します。同年には2枚目のアルバム『カントリー・アルバム』(全米87位)もリリースしています。シングルでは、自作の「明日への願い」(英米4位)を発表しました。「明日への願い」と「バック・オフ・ブーガルー」(全英2位、全米9位)は、ヒット・チャートを賑わしました。ジョージ・ハリスンとの共作曲「想い出のフォトグラフ」や「ユア・シックスティーン」(ジョニー・バーネットの曲のカバー)は、全米1位を記録しました。リンゴは1970年代前半にジョン、ポール、ジョージらビートルズの元メンバーと同様、コンスタントにシングル・ヒットを連発した。さらに1974年にプラターズのカバー「オンリー・ユー」(全英28位、全米6位)、日本では「オー・マイ・マイ」(全米5位)がヒット。75年にはアメリカで「ノー・ノー・ソング」(全米3位)がヒットしました。

シングルだけではなく、アルバムでも彼は成功を収めました。1973年発表の『リンゴ』は全米1位(全英7位)にランクイン。ビートルズ解散以降初めて、4人のメンバーが1枚のレコードの中で名を連ねます。ジョン・レノンやエルトン・ジョン、ニルソンなど、豪華な作家陣が楽曲を提供し、レコーディングにも参加した次作の『グッドナイト・ウィーン』(全英30位、全米8位)も前作同様に大ヒット。ジョージが企画して行われた1971年の『バングラデシュ難民救済コンサート』も含め、1970年代前半のリンゴはさまざまな分野で大活躍しました。

しかし、1976年に古巣EMI/アップルを離れ、アトランティック・レコードに移籍した頃から、好調だったソロ活動に翳りが見え始めます。76年にリンゴは『リンゴズ・ロートグラヴィア』(全英28位、全米16位)とシングル「ロックは恋の特効薬」(全英15位、全米26位)を発表しました。当時リンゴは、自らのレーベル、リング・オー・レコードを設立。作品のプロデューサーにアリフ・マーディン、作曲家にヴィンセント・ポンシア・ジュニアなどを迎え、極めてファンキーなサウンド作りに徹していました。しかし、そういった路線を、より具体的に打ち出した1977年のアルバム『ウイングズ~リンゴIV』は、ビルボードのアルバムチャートで100位圏外という結果に終わってしまいます。この作品の売上不振を原因に、彼はアトランティックから契約を打ち切られています。プライベートでも腸の病気を患って、一時危篤状態に陥ったり、ロサンゼルスにある自宅が火事で全焼したりと、1970年代後半はリンゴにとって多難な時期となっていました。そんな中、彼は自らが主演を務める映画『おかしなおかしな石器人』の中で共演した女優のバーバラ・バックと恋に落ち、1981年に再婚(前妻のモーリーン・スターキーとは1976年に離婚している)。だがその前年1980年、ニューヨークでジョン・レノンが殺害されるという衝撃的な事件も起こりました。この事件が起こった直後、夫妻は急遽ニューヨークのオノ・ヨーコのもとに向かい、ジョンの死を悼んでいます。

1980年代には2枚のオリジナルアルバムを発表したが、シングル・カットされて全米トップ40ヒットとなった「ラック・マイ・ブレイン」以外はヒットには至りませんでした。ジョー・ウォルシュをプロデューサーに迎えて制作された1983年発表の『オールド・ウェイブ』に至っては、本国やアメリカではリリースさえありまさんでした。1980年代の彼は私生活でもとても退廃的な体たらくだったようで、ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンのアルバムや、チャリティ・コンサートなどでドラムを叩く活動が中心でした。1980年代後半はアルコール依存症にも悩まされています。

そんな彼も、1989年にアルコール依存症患者更生施設での治療を経てカムバック。ブルース・スプリングスティーンのバックバンドであるEストリート・バンドや、イーグルスの元メンバーなどを集めた、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」という新バンドを結成し、ビートルズ解散後初の本格的なワールド・ツアーに出ます。その年の秋には日本公演も実現、元メンバーで解散後最初に武道館公演も行いました。

1992年に久々のアルバム『タイム・テイクス・タイム』を発表してからは、その活動はますます精力的なものとなり、1995年にはオールスター・バンドを従えて再び訪日しました。この際の武道館公演は、『ヴォリューム・ワン』というタイトルのCDとなって、アメリカの「ブロックバスター」から通販限定で販売されています。

1998年には、キャロル・キングやエアロスミスなどを手がけたことで知られるマーク・ハドソンを、作曲パートナーと共同プロデューサーに迎えて制作されたオリジナル・アルバム『ヴァーティカル・マン~リンゴズ・リターン』(全英85位、全米61位)をリリース。マッカートニー、ハリスン、ブライアン・ウィルソン、アラニス・モリセットなど、豪華なゲスト陣とともにレコーディングされたこのアルバムは、彼にとって実に22年ぶりとなる全米アルバムチャートのトップ100入りを果たしました。その後はハドソンをパートナーとして、精力的に創作活動に臨み、数枚のアルバムを発表しています。数年間隔でオール・スター・バンドのツアーもこなし、マイペースながら着実な活動を続けています。

2008年には、メンバー中唯一サインに応じる元ビートルズとしての生活に嫌気が差したとし、「10月20日以降はどんなものであってもサインしない、ファンレターも読む暇がないのでゴミ箱行きになるから送らないでほしい」と声明を出しました。報じられたニュースによれば、ファンレターの返事にサインを送ると、送ったサインが転売されるというケースが頻発したことに対する憤激であるとも言われています。

2011年頃には、ギターを弾いている場面がよく見られる。「サマーツアー・イン・ヨーロッパ」のムービーでは青いフォークギターを弾いています。その他にリンゴのホームページでエレキギターやピアノを弾いているところを見ることができます。

2013年には「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として三度目の日本公演を行いました。

2014年にはビートルズの米国上陸50周年のメモリアルイヤーとして、グラミー賞授賞式でポールと共演。そして翌1月27日、ビートルズ訪米50周年トリビュートコンサート”The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles”が開催。ラストではポールと共に「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」と「ヘイ・ジュード」を披露して会場を熱狂させました。

2015年に『ロックの殿堂』入りを果たし、ビートルズはバンドとしてだけでなくメンバーがそれぞれ全員殿堂入りを果たしました。2016年に「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として四度目の日本公演を行いました。

2018年3月20日、音楽界への貢献やエイズ研究などへの支援が評価され、ナイトの爵位が授与されました。

現在、81歳。これからの活動に注目です。



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