不明 のアバター

crc1825 について

音楽、エンタメの投稿をします。 興味のある方は,是非ともご覧下さい^_^

ボーカルうまさが凄すぎる‼️‼️‼️

引用

日本のロックの初めは、1960年代の堺正章、井上純などがが在籍していた『ザ・スパイダース』、1970年代の大瀧詠一、松本隆などが在籍していた「はっぴいえんど』などがありましたが、1980年代はシンセサイザーなどの導入や機材の進化によって多種多様な進化を解けでいました。

中でも、北海道出身の『安全地帯』は特出していました。

元々は、北海道で1973年にボーカルの玉置浩二、ギタリストの武沢豊を中心に、ハードロックバンドとして結成。

その後上京すると、井上陽水のバックバンドとして活動。

その後、1982年に『萌黄色のスナップ』でデビュー。

そして、よく83年『ワインレッドの心』がオリコンシングルチャーとので、1位を獲得し、一躍人気バンドへ。

玉置浩二のベルベットボイスと、メロウなサウンドが好評となり、80年代を代表するバンドに。

その後『恋の予感』(3位)、『熱視線』(2位)、『悲しみにさよなら』(1位)とヒットを連発していきます。

また、井上陽水とのコラボ『夏の終わりのハーモニー』も1位を獲得。

85年のアルバム『安全地帯IV』は、売り上げ92万枚を売り上げるビックヒットとなりました。

1988年活動を休止。

玉置浩二は、ソロとして『田園』(2位)、『キ・ツ・イ』(7位)ヒットを出します。

そして、2010年に再始動。22年ぶりとなるシングル「蒼いバラ』がオリコンシングルチャートで、9位を獲得。存在感は今でも健在。

これからの活躍、さらに楽しみです。



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パンクロックの全て

引用

つい最近は、クリーンデイやオフスプリングなどのポップなパンクバンドや、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュなどの伝統的なパンクスタイルのバンドもいます。

しかし、それもこれも”MC5”、“ザ・ストゥージーズ”の存在は大きく、特にザ・ストゥージーズは特質したバンドでした。

ボーカルでリーダーのイギー・ポップを筆頭に結成されたこのバンドは、1967年に結成。

『ストゥージーズ』とは、「ボケ役」、「まぬけ」といった意味があります。

1969年に、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデューサーにより、デビューアルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を発表。

全米106位と商業的な成功は収められませんでしたが、MC5と並びプロト・パンク/ガレージ・ロックの代表的なバンドとなります。

フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり、ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がったりするなど、身体を張ったパフォーマンスを展開しました。

1970年には、セカンドアルバム『ファンハウス』を発表。同作で新たに、サックスを導入。ところが今度は、チャードインすらせず、レコード会社との契約も打ち切られてしまいます。

その後、バンドメンバーは、失意の中からドラックにハマり、廃人となりかけました。

そんな中、1971年デヴィッド・ボウイとの出会いが、彼の運命を変えます。

1973年『ロウ・パワー(邦題:淫力魔人)』を発表。チャート的には、全米で182位までしか上がりませんでしたが、これまでにない手応えがありました。

新たに入ったレコード会社との契約も打ち切りとなります。

その後、イギーはヘロイン中毒になります。

しかし、デヴィッドの手助けもあってか何とかヘロイン中毒から脱したイギーは、ソロデビューアルバム1977年に『イディオット』が全米72位まで上がる手応えのあるヒットとなります。

因みに、デヴィッド・ボウイの1984年の『チャイナガール』は、イギーの曲のカバーです。

今でこそ、パンクロックは当たり前でしたが、当時は斬新で、後々グラムロック/ロンドンパンクの火種ともなっています。

イギーは、今でも活躍中。マッチョな体で今でもパンクの神様として崇拝されています。



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アメリカの心

引用

1970代と言えば、イギリスのレッド・ツェベリンや、ディープ・パープル、アメリカのエアロスミス、キッスなどが一世風靡しましたが、”シンガーソングライター”もブレイクしました。

元ビートルズの面々、エリック・クラプトン、バン・モリソンなどがいますが、牽引した1人に、ジョン・デンバーがいます。

彼は、1960年代中盤にチャド・ミッチェル・トリオを結成します。

当時は、普通のフォークソングを歌っていました。

そんな彼に転機が訪れます。

同じくアメリカの、人気フォークトリオ、ピーター・ポール&マーリーの曲として、『悲しみのジェットプレイン』が全米1位を獲得し一躍、ソングライターとして人気に火がつきます。

ソロシンガーとしてのデビューは、1969年のアルバム『Rhymes & Reasons』です。

ここで、彼は『悲しみのジェット・プレイン』をセルフカバーし、ヒットさせています。

1971年、『故郷へ帰りたい(Take Me Home County Roads)』が全米2位の大ヒットを記録。

一躍、シンガーソングライターの一角として頭角を表します。

その後も、『ロッキー・マウンテン・ハイ』(全米8位)、『太陽を背にうけて』(全米1位)、『緑の風のアニー』(全米1位)、『すばらしきカントリーボーイ』(全米1位)とヒットを連発。

しかしながら、この人気も1975年中期になると衰え始めます。

KC&サンシャイン・バンドやオハイオ・プレイヤーズ、ビー・ジーズのファンク/ソウル、ディスコグループがブレイクしたことで、時代遅れ感が出でしまい、人気は急落してしまいます。

しかしながら、音楽互いでも彼の活躍は続きます。

1977年、世界の飢餓に対する組織である『ハンガリー・プロジェクト』を設立。亡くなる間際まで携わります。

1980年代に、あのUSA for Africaのメンバーに名乗りをあげますが却下されています。

飛行にも興味があり、NASAを支援し、チャレンジャー号爆発の追悼なども行っていました。

彼は、複数の飛行機(主に、セスナ機)を多数所有。

1997年、趣味の飛行機を楽しんでいる途中、事故に遭い、呆気なくこの世を去ります。53歳の若さでした。

葬儀は、故郷へコロラド州で執り行われ、”アメリカの心”とまで称されます。

『故郷へ帰りたい』は、オリビア・ニュートン・ジョンにカバーされたり、日本でも宮崎駿作品『耳をすませば』エンディング曲として、声優・本名陽子のカバーで大ヒットして、知名度が高まりました。

今でも、彼の心は沢山のアーティストに引き継がれています。



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グランジの帝王

引用

アメリカでは、1980年代はハードロック、ヘヴィメタル、ニューウェーブなどが流行っていました。

しかし、ソニックユースの登場でその概念が覆ります。

1987年、ワシントンでカート・コーバン(ギターボーカル)、ベーシストのクリス・ノヴォセリックによって結成され、1990年にデイブ・グロール(ドラムス)加入でデビュー。

インディーズとして、デビューアルバム『ブリーチ』を発表(1989年)。

2年後、メジャーデビューアルバム『ネヴァーマインド』がいきなり全米1位を獲得。

シングル『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』は、全米6位を獲得し、一躍世界的なバンドとなりました。

いわゆる『グランジ』というジャンルの誕生です。

その後、サウンド・ガーデン、パール・ジャムなど、いろいろなグランジ系バンドが登場。

ニルヴァーナのアルバムは、全世界で1.000万枚を超えるモンスターアルバムとなりました。

その後、MTVアンプラグドライブのアルバムも全米1位を獲得。

しかし、その後のアルバムや楽曲の制作にプレッシャーを感じたカートが、自宅で猟銃自殺。

苦しくも、1994年『イン・ユーティロ』(全米1位)を発売した直後でした。

その後、ドラムスのデイブは、新たにフー・ファイターズを結成。

ポスト・グランジ系のバンドとして今でも活躍しています(グラミー賞常連です)。

ニルヴァーナは、今尚も、様々なバンドに影響を与えています。

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