アメリカのピアノマン

1970年代の、シンガーソングライターブームは凄まじく,幾多のアーティストが登場した。中でもピアニストによるヒットが多かったのが特出する所です。

特に、『ビリー・ジョエル』の人気は大変に凄いものでした。

本名:ウィリアム・マーティン・ジョエル。ナチスドイツから、逃げてきたユダヤ系の父親ハワード・ジョエル、宝石店を営む同じくユダヤ系のロザリンド・ハイマンのもと、ニューヨークで生まれます。

父は、クラシックに長けており、ビリーも母の要求でピアノを始めるようになります。スポーツより音楽に興味があり、少年時代はいじめにあっており、自衛のためにボクシングを習っていた。

14歳の時にバンド『エコーズ』に参加。ヒックスヴィル高校で学んでいましたが,バーでピアニストとして働いていたために英語の単位を落とし、中退。

ミュージシャンとしては、故郷のロングアイランドで活躍していた『ハッスルズ』のメンバーとして活動した後,彼と共にグループ内で活動していたドラムスのジョン・スモールと、ハードロックユニット『アッティラ』を結成し、2枚のアルバムを発表しますが、鳴かず飛ばずで結局解散します。

アーティ・リップという人物に才能を見出され契約を交わし、彼のプロデュースによりデビューアルバム『ゴールド・スリープ・ハーバー』(全米158位)をリリースし、その活動を開始さします。

ビル・マーティンと言う名義で、クラブを中心にライブ活動を行なっていた彼は、コロンビア・レコードと契約を更新。そして、1973年に『ピアノマン』(全米27位)で再デビュー。タイトル曲が全米トップ30位ないというスマッシュヒットとなります。翌74年の『ストリートライフ・セレナーデ』(全米35位)と共にアルバム『ピアノマン』は、ゴールドディスコに輝きます。

1975年に、4枚目のアルバム『ニューヨーク物語』(全米122位)をリリース。このアルバムは,当初シカゴのプロデューサー、ジェイムス・ウィリアム・ガルシオがプロデュースとして携わっていましたが、最終的にはビリー1人で仕上げました。このアルバムからは、「さよならハリウッド」「ニューヨーク物語」のヒットが生まれます。

1977年にリリースされた5枚目のアルバム『ストレンジャー』によって、ビリーは一躍スターダムにのし上がります。ポール・サイモンのグラミー賞受賞作『時の流れに』などを手がけたフィル・ラモーン起用したこのアルバムは、全米2位まで上昇すること大ヒットを記録。シングル「素顔のままで」が全米3位にランクインされ大ヒット。グラミー賞を受賞します。

1978年、『ニューヨーク52番街』をリリース。このアルバムで、初の全米1位に輝きます。シングルとしては,「マイ・ライフ」(全米1位)「オネスティ」(全米24位)を記録します。このアルバムも、グラミー賞を受賞。2枚のアルバムの成功を受け,78年には、日本武道館でのライブを行い人気が爆発します。

1980年、『グラス・ハウス』(全米1位)をリリース。これまでのジャズ基調のスタイルから脱皮し、よりソリッドなサウンドに徹したらこのアルバムはで再びグラミー賞を受賞。隆盛を極めます。シングル「ロックン・ロールは最高さ」は彼にとって初の全米1位を獲得します。

ライブアルバムを挟んで、1982年に『ナイロン・カーテン』(全米7位)をリリース。シングル「アレンタウン」(全米17位)、「プレッシャー」(全米20位)がヒットします。

1983年には、『イノセント・マン』(全米4位)をリリース。シングル『アップタウン・ガール」(3位)「あの娘にアタック」(全米1位)が大ヒット。再びグラミー賞を受賞します。

1985年初のベスト盤『ビリー・ザ・ベスト』(全米6位)まで上昇。年間チャートで4位を記録。2300万枚を売りげます。

1986年には、『ザ・ブリッジ』(全米7位)をリリース。シングル「ディス・イズ・ザ・タイム」(全米18位)を輩出します。

1989年には、『ストーム・フロント』(全米1位)をリリース。長年に渡りプロデューサーとして携わっていたフィル・ラモーンに変わり、フォリナーのミック・ジョーンズを起用。シングル「ハートにファイア」(全米1位)が大ヒットします。

それから4年後、『リヴァー・オブ・ドリームス』(全米1位)をリリース。同タイトル曲が全米3位を記録します。この2年後に、阪神・淡路大震災を経験。その後、寄付などの活動を行います。

その後は、ベスト盤、クラシックアルバムなどをリリースしますが、アルコール中毒と鬱病などで一時勝ち道を中心します。

2006年、マディソン・スクゥエア・ガーデンにて、1月から4月にかけて行ったライブを収録した『12ガーデンズ・ライブ』(全米14位)をリリースします。

2007年に、久々の新曲「オール・マイ・ライフ」をリリース。ビルボードのシングルセールスチャートで1位を獲得。

2013年には、「ケネディー・センター名誉賞」を受賞します。2015年には、ニューヨーク州ロングアイランドのストーンブルック大学から音楽の名誉博士号を授与されました。

同年、独立記念日のパーティ時に2009年から交際していたアレクシス・ロデリックと結婚しました。

現在でも、ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンなどとライブ共演を実現。活動を続けています。



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