ブルージーなロックンロール

1970年、アメリカニューハンプシャー州サナピー湖にあるクラブ「ザ・バーン」で友人関係であったギターのジョー・ペリーとペリーのトム・ハミルトンらによるバンド「ザ・ジャムバンド」演奏にスティーブン・タイラーが観にきており、彼を新バンドのらボーカルに迎えいれたことが「エアロスミス」の始まりでした。

スティーブンは、すでに別のバンドでドラムス兼ボーカルとして活躍しており、地域で知名度がありました。この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラムスにジョーイ・クレイマー、もう一腹のギタリストにレイモンド・タバーノが加入します。バンド名は、ジョーイが高校時代からイメージしていたバンド名に因んで『エアロスミス』に決まります。バンドロゴは、レイモンドの原案が取り入れられました。

71年、レイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとしてブラッド・ウィットフォードを迎えます。これにより,オリジナルバンドが揃いました。72年に、コロンビアレコードと契約を結び、バンドはデビューの足掛かりを掴みます。

1973年にデビューアルバム『野獣生誕』(全米21位)リリース。アルバムからシングル「ドリーム・オン」がアメリカ東海岸地区のロック系ラジオ中心として注目されて全米59位まで上昇するヒットとなります。

74年には,『飛べ!エアロスミス』(全米74位)リリース。1年以上に渡って全米アルバムチャート200位以内に入り続け,ロングヒット作品となります。

1975年、3作目となる『闇夜のヘヴィ・ロック』(全米11位)リリース。シングル「ウォーク・ディス・ウェイ」(全米10位)、「スイート・エモーション」(全米36位)がヒット。アルバムもプラチナ・ディスクを獲得。この勢いで、前2作アルバムのセールスもセールスが上がり、シングル「ドリーム・オン」が全米6位まで上昇します。なお、日本では『飛べ!エアロスミス』でデビュー作です。

76年、全米ツアー開始。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでライブを開催。その後、5作目となる『ロックス』(全米3位)リリース。「ラスト・チャイルド」、「ホーム・トゥナイト」、「バック・イン・ザ・サドル」もヒット。日本でも知名度が上がり、『クイーン』、『キッス』と共に“3大バンド”としての人気を博します。その後、初のヨーロッパライブも開始します。

人気拡大と共にバンド活動に2度目のヨーロッパツアーを含む大規模ツアーが組み込まれ、その合間にレコーディングが行われるという過酷なスケジュールになり、以前から使用していたドラッグスの使用頻度が増えていきます。そのような中、77年『ドロー・ザ・ライン』(全米11位)リリース。しかし、79年にバンド内で喧嘩が発生。ジョーがバンドを脱退する事態に陥ります。ジョーは、新たに「ジョー・ペリー・プロジェクト」を立ち上げバンドは、ライブ活動を開始します。

エアロスミスは、新たなギタリストとしてジミー・クレスポを迎え入れ、6作目となるアルバム『ナイト・オン・ザ、ラッツ』(14位)リリースします。1980年ジョーは、デビューアルバム『熱く語れ!』リリース。一方、エアロスミスはスティーブンの負傷によりバンドは一時活動を停止。初のベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』(全米43位)をリリースします。

81年、ブラットがデレク・セント・ホルムズとアルバム『ウィットフォード/ホルムズ」をリリースし、バンドを脱退。一方ジョーは、2作目『忘れじのロックン・ロール』をリリース。エアロスミスは,82年にブラッドに代わるギタリストとしてリック・デュファイを迎え7作目『美獣乱舞』(全米32位)をリリース。83年ジョーは、3作目『いつまでも熱く』リリース。

84年、エアロスミスにジョーとブラッドボストン公演に訪れ、話し合いの場がもたれオリジナルメンバで再始動となります。諸条件を整えてツアーを再開。レコードレーベルをゲフィン・レコードに移籍。1985年、デッド・テンプルマンをプロデュースに迎え8作目『ダン・ヴィズ・ミラーズ』(全米36位)リリース。

86年、Run-D.M.Cが、「ウォーク・ディス・ウェイ」カバーし、スティーブンとジョーもプロモーションビデオに参加。シングルは,全米4位まで上昇する大ヒットとなり、エアロスミスが音楽界の第一線にカムバックします。87年、プロデュースにブルース・フェアバーンを迎え、9作目『パーマネント・バケーション』(全米11位)リリース。「エンジェル」、「ラグ・ドール」「デュード」が大ヒット。アルバムも1000万枚を超える大ヒットとなります。

1989年10作目『パンプ』(全米5位)リリース。全世界で1100万枚を超えるセールスを記録し、「エラヴェイター・ラブ」、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」、「アザー・サイド」、「ホワット・イット・テイクス」のシングルがヒット。12年ぶりのヨーロアツアーと初のオーストラリアツアーも行われました。

1990年、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」がグラミー賞を受賞します。まだMTVビデオ・ミュージック・アウォードも受賞します。91年には、「アザー・サイド」がMTVミュージックアウォードを受賞。初のボックス・セット『パンドラの箱』をリリース。

1993年には、11作目『ゲット・ア・グリップ』リリース。初の全米1位を獲得。前作を超える1600万枚を売り上げ、シングルとしても、「リヴィング・オン・ジ・エッジ」、「クライン」、「「アメイジング」等が、立て続けにヒット。翌94年に、グラミー賞を受賞します。

1997年には、レコードレーベルをデビュー当時のコロンビア・レコードに変わり、プロデューサーを、ケヴィン・シャーリーを迎え、12作目『ナイン・ライブズ』(全米1位)リリース。同年に、スティーブンの娘でモデル兼女優の、リブ・タイラー出演の映画『アルマゲドン』の主題歌「ミス・ア・シング」をリリース。バンド史上初となる全米4週連続1位を獲得。99年に、『ナイン・ライブズ』収録の「ピンク」がグラミー賞を受賞。

2001年、13作目『ジャスト・プッシュ・プレイ』(全米2位)リリース。シングル「ジェイデッド」が全米7位のヒットとなります。また、同年に『ロックの殿堂』を果たします。2002年には、映画『スパイダーマン』のテーマ曲「スパイダーマンのテーマ」をカバー。

2004年には、カバーアルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ』(全米5位)リリース。2005年には、ジョーがソロアルバム『ジョー・ペリー』をリリース。

2012年、『ジャスト・プッシュ・プレイ』以来11年ぶりとなる14作目『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』(全米5位)リリース。

その後も、ライブやイベントなど色々な活動を行い、今でも現役で活躍中です。



にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村</p</p

ブルージーなロックンロール」への1件のフィードバック

  1. エアロスミスもいいですね!
    「ドリーム・オン」 『アルマゲドン』の「ミス・ア・シング」も良く聴いています。
    知らない曲もこれからじっくり聴いてみたいと思います🎵🎶

    いいね: 1人

コメントを残す