不明 のアバター

crc1825 について

音楽、エンタメの投稿をします。 興味のある方は,是非ともご覧下さい^_^

産業ロックのパイオニア的存在

イギリスで、1970年代に誕生した『プログレッシブ・ロック』。

ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、エマーソン・レイク&パーマーなどがブレイクする中、アメリカでもこのジャンルが流行り始めます。

カンサス、ボストン、TOTOなどが次々と登場する中、サンタナのギタリストとしてデビューした、ニール・ショーンが独立。

バンド名は、『Journey』。

当初は、いかにもプログレッシブ・ロック感を出し、マニアの間で注目を集めますが、売上的には成功していませんでした。

要因は、ボーカルの質の弱さ。

そこで、ニールはボーカルのオーディションを行います。

そこで、出会ったのが全盛期を支えた、スティーブ・ペリーです。

1978年『インヒィニティ』が全米で21位にジャンプアップ。

売上もミリオンセラーとなります。

その後も79年『エヴォリューション』(全米20位)、1980年『ディパーチャー』(全米8位)と成功を収め、一躍人気バンドへ上り詰めます。

その後、初期のアルバム3枚から選んだ曲を収めたベスト盤を出します。

そしてここからです。スティーブ・ペリーのボーカルを前面に押し出した81年の『エスケープ』が全米で初の1位を獲得。

シングル『Don’t Stop Believing』(全米10位)、『Who’s Crying Now』(全米4位)とヒットを連発します。

そして、最大のヒット曲『Open Arms』が全米2位まで上昇し、ついに名実共にトップバンドになります。

その後は、83年『フロンティアーズ』(全米2位)から、『Separate Ways』(全米8位)』、『Faithfully(全米11位)』がヒットしました。

しかし、メンバー内で方向性の違いが目立ち始めます。

86年『Raised On Radio〜時を駆けて』(全米4位)からは、『Be Good To Yourself』(全米9位)、『Girl Can’t Help It』(全米9位)とヒットしましたが、一時バンド活動を休止します。

スティーブは、ソロとして『Oh.Sherry』(全米3位)がヒットしました。

その後、1996年オリジナルメンバーで、『トライアル・バイ・ファイアー』(全米3位)がヒット。

シングル『When You Love a Woman』(全米12位)がヒット。

しかし、スティーブがバンドを脱退し、スティーブ・オージェリーを迎え、2001年『アライバル』を発表しますが、思ったようなヒットに恵まれませんでした。

その後、再びアルバムを出しますが、ヒットに恵まれず、スティーブはバンドを脱退してしまいます。

危機に陥った、バンドは当時から流行っていたYouTubeで、ボーカリストを探す活動をはじめます。

そこで、発掘したのかフィリピン人ボーカリストである”アーネル・ピネダ”です。

バンドは早速、アーネルを迎えて、2008年『レヴェレイション』を発表。全米で5位と久々の大ヒットとなりました。

またこのアルバムには、過去のヒット曲(ペリー期)をセルフカバーしたことで話題となりました。

その後、そのサクセスストーリーを収めたビデオを発表し、これもヒット。

2011年には、本格的な新軌道としてのアルバム『エクリプス』(全米11位)を発表。

2022年には、『Freedom』と言う新作を発売予定。

産業ロックと揶揄された時代もありましたが、着実に人気を拡大させています。

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日本のペルソナ

ハードロック/ヘヴィーメタルには、いろいろなバンドがいるが、日本には異質なバンドがいる。

それは、『聖飢魔II』である。

人間の体を借りた、“悪魔”を自称するデーモン木暮閣下を筆頭に、メンバーの変遷が激しいバンドである。

1982年に、ダミアン浜田地獄皇太子中心に結成され(当初のバンド名は『は、は、は、は、浜田さんバンド』だった)、のちにダミアンの帰獄(いわゆる脱退)により、デーモン木暮を中心に動き始める。

1985年に、デビュー大経典『聖飢魔IIー悪魔が来たりてヘヴィメタる』を発布(いわゆる発表)。

翌86年、小経典『蝋人形の館』が大ヒット(オリコン12位)。

日本に、メタルブームを巻き起こす(『E・Z・O』や、『LOUDNESS』なども続いてブレイクしました)。

その後、メンバー脱退や新加入、再加入などを経て、1999年まで活動していたが、同年『地球征服宣言』を行い、デビューからの予定通り解散を発表。

その後は、デーモン木暮は相撲や政治でのコメンテーターなどで人気を博し、バンドの一時的な結成などを行なっている。

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ブリットポップの申し子

1980年代後半のイギリスは、アメリカのグランジというジャンルの音楽が流行していた。

しかし、イギリスではそれなりに当時流行っていたジャンルもありました。

それは、マンチェスター・サウンド(Manchester)というブームです。

人気のバンドは、ザ・ストーンローゼス、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペツなどです。

ただ、それはあくまでもイギリス国内だけでブームとなったもので、世界的な爆発的なものとはなりませんでした。

その後、現れたのかブラー、スウェード、マニック・ストリート・プリーチャーズなどが現れ、ヨーロッパでも人気を博しました。

中でも一番、ブレイクしたのがノエルとリアムのギャラガー兄弟率いるOasis(オアシス)でしょう。

弟のリアムがリードボーカルで、兄ノエルはリードギターとバックボーカル。

もちろんノエルは、リードボーカルも行いました。

そんなオアシスは、1991年にマンチェスターで結成。

当時は、ノエルは加入していませんでしたが、ライブを見に行った時に、リアムに「俺がバンドを変えてやる。作曲も俺がやる」と、宣言して加入。

他のメンバーは、サイトギター、ポール・ “ボーンヘッド” ・アーサーズ、ベース、ポール・ “ギグジー” ・マッギーガン、ドラムス、トニー・マッキャロルでした。

1994年デビュー。デビューシングル『スーパーソニック』が、全英インディーズチャートで1位を獲得。総合チャートでも31位を記録しました。

ブレイクのきっかけは、3作目シングル『リブ・フォーエバー』が全英チャートで10位にランクインしたことです。

その後、同年にアルバム『オアシス(Definitely Maybe)』を発表。全英アルバムチャートで1位を獲得。全世界で800万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

同年には、5枚目となるシングル『ホワットエバー』が、全英3位となり人気を確実なものとします。

この任期を完全に不動にしたのが、翌95年に発売された『モーニング・グローリー((What’s the Story) Morning Glory?)』です。

このアルバムが、全英でトータル20週に渡って1位を独占。全世界で、2500万枚のモンスターアルバムになります。シングルとしても『ワンダー・ウォール』が全英2位、『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』が1位を獲得。

また、『ワンダー・ウォール』は全米でも8位にランクイン。グラミー賞にもノミネートされた、アルバムも全米4位まで上昇します。

翌年のブリットアウォードで賞を総なめします。

そして、1年半の期間を開け、『ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?』をリードシングルとして発表。

全英1位を獲得しますが、その後発表された『ビー・ヒア・ナウ(Be Here Now)』が1位を獲得したものの、賛否両論となりました(因みに、全米2位を獲得しています)。

その後、メンバーチェンジを経て、バンド活動を継続していきましたが、2009年にノエルがバンドを脱退。

残ったメンバーは、リアムを中心に『ビーディー・アイ』を結成しますが、振るわずその後解散。

ノエルは、ソロプロジェクト『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』を始動。

彼らの存在は、後々イギリスのバンドへ大きな影響を与えています。

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ハードロックのお初🎸

ハードロックは、1966年にCreamやジミー・ヘンドリクスによって確立されたと言われているが、実はその2年前にその形を取っていたバンドがいました。

そのバンドこそ、『The Kinks』です。ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ、フーと並ぶ、UK四大バンドの一つとされています。

1963年にデビュー。最初こそ、売り上げは伸びなかったが、翌年の『You Really Got Me』が現在までのハードロックなどの元祖とされています。

その後、『All Day and All of the Night』でも、ハードロック(もしくは、プロトパンク)を披露し、人気を確実なものとした。

彼らの存在は、後のオアシスなどに営業を与えています。

まさに、伝説のバンドというわけです。

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